着切りが本職でしょうね。女のくせに酒を飲む、博奕を打つ、殊に博奕が道楽と来ているのだから、他人《ひと》の巾着を稼いだくらいじゃあ、あんまり旨い酒も飲めねえようですよ。それでもこの七月頃にゃあ、近所の近江屋という呉服屋の通い番頭を引っかけて、蟹の彫り物の凄いところを見せて、三十両とか五十両とか捲き上げたそうです。駄菓子屋の婆さんも近所の手前、お角の評判の悪いのに困り切って、なんとかして追い出そうとしているが、お角がなかなか動かねえので持て余しているらしく、わっしにも頻りに愚痴を云っていましたよ」
「人の目につかねえ為でもあろうが、駄菓子屋の三畳にくすぶっているようじゃあ、お角という女もあんまり景気がよくねえと見えるな」と、半七は笑った。「だが、異人の紙入れに幾らあったかな。勿論こっちの金に両替えしてあったろうが、外国の金だったら使い道はあるめえ。うっかり両替屋へ持って行ったら藪蛇《やぶへび》だ。巾着切りの方は現場《げんば》を見たわけでもねえから仕様がねえが、例の馬の一件、それが確かにお角の仕業だかどうだか、今のところじゃあ一向に手がかりがねえ。そこで、お角の相棒はどんな奴だ」
「駄菓子屋の婆さんの話じゃあ、色男だか相摺りだか知らねえが、いろいろの男が四、五人たずねて来るそうで……。時によると、その狭い三畳で賽《さい》ころを振ったりするので、婆さんもひどく弱っているようでしたよ。来る奴らの居どころも名前も、婆さんはよく知らねえのですが、そのなかで一番近しく出入りをするのは、長さんと平さん……。平さんというのがお角の男らしいと云うのですが……」
「そいつの居どころもわからねえのか」
「確かにはわからねえが、その平公は何でも本郷|片町《かたまち》辺の屋敷にいる奴だそうで……」
「本郷の屋敷にいる……」
 半七は偶然の掘り出し物をしたように感じた。市子のおころの息子は屋敷奉公をしていると云う、それがもしやこの平さんなる者ではないかと思い浮かんだのである。たとい取り留めた証拠はなくとも、探索はこんな頼りないようなことを頼りにして、根《こん》よくあさって行くのが成功の秘訣であることを、半七は多年の経験によってよく知っていた。
 しかし本郷片町というだけでは、どこの屋敷であるか判らない。平さんというだけでは、その人間を探し当てることも困難である。お角を調べたところで、それを素直に云う筈はない。さしあたりは駄菓子屋の近所に網を張って、平さんなる者の出入りを窺うのほかは無い、気の長い仕事のようであるが、まあ我慢して張り込んでくれと、半七は幸次郎に云い含めた。
「如才《じょさい》もあるめえが、そいつの帰るときに尾《つ》けて行って、なんという屋敷の何者だか突き留めるのだぜ」
「承知しました」
 幸次郎は請け合って帰ったが、それから二日ばかりは音沙汰もなかった。亀吉と善八は手を分けて近在までを詮議していたが、どこへも馬を売りに来たという噂は聞かなかった。ほかの物と違って、生馬《いきうま》を戸棚や縁の下に隠して置けるはずもないのであるから、近在の大きい農家か武家屋敷のうちにつないであるに相違ないと半七は鑑定して、亀吉らにもその注意をあたえて置いた。
 十月|朔日《ついたち》の朝である。けさは急に冬らしい風が吹き出したと云っているところへ、松吉が息を切って駈け込んで来た。
「親分。おころという市子が殺されました」

     四

 松吉の報告によると、おころの死体はけさの六ツ半(午前七時)頃に、近所の人々に発見された。但し谷中の自宅に死んでいたのではなく、かの団子坂下の空地に倒れていたのである。
 その死体は古祠の前に横たわっていたが、よほど激しい格闘を演じたらしく、彼女は髪をふり乱し、着物の胸をはだけて、かた手に白い幣束《へいそく》を持ちながら、仰向けに倒れていた。彼女はその顔をめちゃめちゃに掻きむしられた上に、喉《のど》を絞められていたのであるが、その死因が頗る怪しかった。喉を紋められたというよりも、三枚の長い鋭い爪で頸の左右を強く刺されたような形で、爪のあとが皮肉《ひにく》のなかに深く喰い込んでいた。鋭い爪に脈を破られたと見えて、頸《くび》のあたりから流れ出した血汐が枯草を紅《あか》く染めていた。
 死に場所といい、その死にざまの怪しいのを見て、狐使いの彼女が狐に殺されたのであろうと、近所の者はおどろき恐れた。彼女は狐を夫にしていたが、近ごろほかに情夫《おとこ》をこしらえた為に、狐が怒って彼女を殺したのであると、まことしやかに云い触らす者もあった。彼女は自分の商売の種に狐を使いながら、碌々に毎日の食い物もあたえないので、狐が怨んで彼女を殺したのであると伝える者もあった。いずれにしても、怪しい市子の怪しい死について、いろいろの怪奇な浮説がそれからそれ
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