口寄せをするもので、江戸時代の下流の人々には頗る信仰されていたのである。その市子が草にうもれた古祠のかげから突然にあらわれたのは、白昼でも何だか気味のいいものでは無かった。二人は黙って見ていると、女の方から声をかけた。
「もし、おまえさん方は何か探し物でもしていなさるのか」
「ええ、落とし物をしたので……」と、幸次郎はあいまいに答えた。
「おまえさん方の探す物は、ここらでは見付からないはずだ」と、老女は笑いながら云った。「もっと西の方角へ行かなければ……」
市子は占《うらな》い者や人相見ではない。その口から探し物の方角などを教えられても、恐らく信用する者はあるまい。まして半七らがその忠告をまじめに聴くはずはなかった。
「いや、ありがとう」と、幸次郎も笑いながら答えた。
それぎりで、二人は往来の方へあるき出すと、老女はそのあとを慕うように続いて来た。二人も無言、彼女も無言である。草をかき分けて往来へ出て、二人は左へむかって行くと、彼女もおなじく左へむかって来た。彼女はなかなか達者であるらしく、わずかに一間ほどの距離を置いて、男のようにすたすたと歩いて来る。それが自分たちのあとを尾《つ》けて来るようにも思われるので、幸次郎は振り返って訊いた。
「おめえはあすこに何をしていたのだ。あの祠《ほこら》を拝んでいたのかえ」
老女は黙っていた。
「あの祠には何が祭ってあるのだ」
「神様です」と、老女は答えた。
「神さまは判っているが、なんの神様だ」
「知りません」
「毎日拝みに来るのかえ」
「あの祠を拝みに行けというお告げがあったので、毎日拝みに来ます」
「おめえの家《うち》はどこだ」
「谷中《やなか》です」
「谷中はどの辺だ」
「三崎《さんさき》です」
「おめえは市子さんかえ」
「そうです」
「商売は繁昌するかえ」と、幸次郎は冗談のように訊いた。
「繁昌します」と、彼女はまじめに答えた。
そんなことを云っているうちに、半七らは百姓家の前に出た。それは片商売に荒物を売っている店で、十歳《とお》ばかりの男の児が店の前に立っていたが、半七らを見ると慌てて内へ逃げ込んだ。それに構わずに、二人は店へずっとはいると、三十二三の女房が奥の障子をあけて出た。彼女は先ず子供を叱った。
「なんだねえ、お前は……。お客さまが来たのに、逃げることがあるものか」
「狐使いだよ」と、男の児は表を指
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