七はうなずいた。
「主人の勢いがあんまり激しいので、音造の野郎もさすがに気を呑まれたのか、それとも大勢がごたごた[#「ごたごた」に傍点]している所で喧嘩をしちゃあ自分の損だと思ったのか、主人にあたまから呶鳴り付けられて、尻尾《しっぽ》をまいてこそこそと逃げて帰ったそうです。どっちにしても、意気地のある奴じゃありませんね」
善八は軽蔑するように笑っていた。
四
やがて松吉も帰って来た。
その報告によると、浅草の観世物小屋では、当日お半の来る前は客足がしばらく途切れていた。お半の少しあとから若い男がはいった。それから男と女の二人連れ、その次に長助、すべて前に云った通りである。長助はもう判っているが、他の男女三人の人相、年頃、風俗、その説明を松吉から聞かされて、半七は肚《はら》のなかでほほえんだ。
「じゃあ、いよいよ仕事に取りかからなければならねえが、松は木戸番に顔を識られているから拙《まず》い。善八、おめえは亀を誘って浅草へ行って、観世物小屋の裏手へ廻って、右と左の出口を見張っていてくれ。おれは客の振りをして、素知らぬ顔で表からはいる。あとは臨機応変だ。あしたの午頃までに間違いなく行ってくれ」
「承知しました」
約束を決めて、その晩は別れた。あくる日はからりと晴れて、又すこし暑くなったが、顔をかくすには都合がいい。半七は日除《ひよ》けのように白地の手拭をかぶって、観世物小屋の前へ来かかると、善八と亀吉はひと足さきに来て、なにげなく小屋の看板をながめていた。勿論たがいに挨拶もしない。半七は眼で知らせると、二人はこころ得て裏手へ廻った。
半七は十六文の木戸銭を払って、唯の客のような顔をして木戸口をはいった。狭い薄暗い路を通って、例の獄門首や骸骨を見ながら、二筋道の曲がり角を左に取ってゆくと、どこかで青白い鬼火が燃えているらしかった。半七も血だらけの細い手に袖をひかれた。姙《はら》み女の死骸をまたがせられた。大きい蝙蝠《こうもり》に顔をなでられた。もうここらだろうと思うときに、半七の頬かむりの手拭をつかむ者があった。
髷節《まげぶし》を取られない用心のために、半七は髷と手拭のあいだに小さい針金を入れて置いたので、手拭は地頭《じあたま》よりも高く盛り上がっていた。それを知らない怪物は、いたずらに手拭を掴んだに過ぎなかった。爪の長い手が手拭をずるりと引い
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