女は顔の色をちょっと変えましたが、そんな者は居りませんと云う。わたくしは畳みかけて『なに、居ないことがあるものか、誰にやるつもりでカンカラ太鼓を買ったのだ』と一本参ると、さすがは女で、もう行き詰まってぐうの音《ね》も出ません、こっちは透かさず高飛車に出て『さあ、さあ、案内しろ』と、お京を追い立てて二階へあがると、果たして玉太郎が見付かりました」
「では、そのお京という女も共謀なんですか」
「まあ、共謀といえば共謀です。お京と次郎吉はよし原にいた時からの馴染で、槌屋の隠居の世話になっていながらも、内証で次郎吉を引っ張り込んでいたんです。次郎吉の家は裏長屋で、近所の口がうるさいので、お京の方からは滅多にたずねて行かない、いつも自分の方へ呼んでいる。次郎吉はだらしのない怠け者ですが、人間が小粋に出来ているので、まあ色男になっていたわけです。勿論、白雲堂とも前から識っていました。
白雲堂も一旦は玉太郎を自分の家へ引き取ったが、何分にも家は狭い、隣りは近い。自分はひとり者で子供の世話にも困る。おまけに菊園では岡っ引に探索を頼んだという話を聞いて、なおさら自分の家に置くのは不安だと思って、次郎吉に相談してひと先ず玉太郎をお京の二階に預けることにしました。次郎吉は自分とお京との秘密を白雲堂に知られている弱味があるのと、元来が考え無しの人間ですから、うかうかと引き受けてしまったので、お京と次郎吉には別に悪い料簡もなかったようです。
お京も男にたのまれて、玉太郎をあずかっては見たものの、子供のことですから家《うち》を恋しがって泣きはじめる。その始末に困って次郎吉のところへ相談に行く途中、泣く児をあやす為に河豚太鼓を買った。それが私たちの眼について、あとを尾《つ》けられることになったんです。お京が太鼓を買わなければ、私たちもうっかり見逃がしてしまうところでした」
「お福と次郎吉とは無関係なんですか」
「相変らず縁が繋がっているように思ったのは、わたくしの見込み違いで、お福とお京とを間違っていたんです。こういう勘違いでやり損じることがしばしばありますから、早呑み込みは出来ません。しかしこの一件に次郎吉が絡《から》んでいたというのも、自然の因縁でしょう。いや、自然といえば、白雲堂の屋根で猫が啼かなければ、二階を見上げない。二階を見なければ、あがって見る気にもならない。勿論、猫になんの料簡があったわけでも無いでしょうが、そういうことから自然に手がかりを得る例もたびたびあります。探索も自分の頭の働きばかりでなく、自然に何かに導かれて、思いもよらない掘り出し物をしないとも限りません。考えると、不思議なものですよ」
「お福はどうなりました」
「お福は手当てをして主人に預けられました。こんな騒ぎを仕出来《しでか》したんですが、何分にも女のことであり、もともと悪気では無し、つまりは忠義から起こったような事ですから、主人からの嘆願もあり、かたがた叱り置くというだけで無事に済みました。しかし世間や近所の手前、そのまま菊園に奉公しているわけにも行かないので、暇を取って根岸の実家へ帰りました。
白雲堂が河豚で死ななかったら、お福はどんなことになったか判りません。魚八でも白雲堂を殺すつもりで河豚をやったのでは無いんですが、それが自然に相手を殺して、娘の難儀を救うようになったというのは、なんだか小説にでもありそうな話です。
菊園の玉太郎はその後に植疱瘡することになったそうです。お福は根岸へ帰ってから何処へも再縁せずに、家の手伝いなぞをしていましたが、上野の彰義隊の戦争のときに、流れ弾《だま》にあたって死んだそうで、どこまでも運の悪い女でした」
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年5月11日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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