が明神下の店へ引っ返してみると、家へも帰っていないという。店の方でも騒ぎ出して、若い者二人と小僧ひとりがすぐに駈け付けたが、玉太郎の姿はどうしても見えない。番頭の要助もあとから駈け出して、それからそれへと心あたりを訊《き》いて歩いたが、誰も知らないと云う。春といっても此の頃の日はまだ短いので、そんな騒ぎのうちに日が暮れてしまいました。
それほど遠くもない所で、迷児になってしまうと云うのは少しおかしい。子供といってももう七つにもなっているのだから、誰かに道を訊《き》いても帰られそうなものだと云う者もある。誰かが見つけて連れて来てくれそうなものだと云う者もある。そうなると、もしや人攫《ひとさら》いにでも拐引《かどわか》されたのじゃあないかと云う疑いも起こる。あるいは神隠しかも知れないと云う者もあります。
今でも時々そんな噂を聞きますが、昔は人攫いだの、神隠しだのということがしばしば云い伝えられました。人攫いは小綺麗な女の児を攫って行くんですが、男の児も攫われることがある。これは遠方へ連れて行って、幾らかに売り飛ばすのですが、神隠しの方はなぜだか判らない。普通は天狗に攫われるのだと云っていましたが、嘘か本当か請け合われません。尤も半年か一年の後にふらりと帰って来て、今まで山の中に暮らしていたなどと云う者もある。そんなわけですから、子供のすがたが見えなくなれば、第一は迷児、次は人攫いか神隠しかと云うことになるのが普通で、玉太郎も迷児を通り越して人攫いか神隠しかという説が多くなりました。
神隠しはどうにもならないが、人攫いならば早く手を廻して、そのありかを探し出す工夫が無いでもあるまいというので、その夜ふけに番頭要助がわたくしの家へたずねて来ました。さてこれからがお話です」
二
小座敷の行燈の下で、客と主人が向かい合った。もう寝ようとしたところを叩き起こされて、春の夜寒《よさむ》が半七の襟にしみた。
「あの玉ちゃんという児《こ》は七つになりますかえ。わたしも店の前に遊んでいるのを見たことがある。色白の綺麗な坊やでしたね」
「はい、主人の子を褒めるのもいかがですが、仰しゃる通り、色白の可愛らしい子供でございまして……」と、要助は答えた。「それだけに親たちも心配いたしまして、もしや拐引《かどわかし》にでも逢ったのじゃあないかと申して居ります。御近所の人たちもみんな同じような考えで、これは早く三河|町《ちょう》の親分さんにお願い申した方がよかろうと申しますので、こんな夜更《よふ》けにお邪魔に出まして相済みません」
「そこで、わたしの心得のために、訊《き》くだけのことを正直に話してください」と、半七は云った。
「お店には大《おお》旦那夫婦がありましたね」
「はい、大主人は半右衛門、五十三歳。おかみさんはおとせ、五十歳でございます」
「若主人夫婦は……」
「若主人は金兵衛、三十歳。若いおかみさんはお雛、二十六歳。若いおかみさんの里は、岩井町の田原という材木屋でございます」
「お乳母《んば》さんは」
「お福と申しまして、若いおかみさんと同い年でございます。お福の宿は根岸の魚八という魚屋《さかなや》で、おやじは代々の八兵衛、おふくろはお政、ほかに佐吉という弟がございます」と、要助は一々明瞭に答えた。
「乳母に出るのだから、一旦は亭主を持ったのだろうが、その亭主とは死に別れですかえ」
「なんでも浅草の方へ縁付きましたのですが、その亭主が道楽者で……。生まれた子が死んだのを幸いに、縁切りということに致しまして、乳母奉公に出たのだそうでございますが、まことに実体《じってい》な忠義者で、主人の子どもを大切に致してくれますので、内外《うちと》の評判も宜しゅうございます」
それから店の若い者、小僧、奥の女中たちまで、一々身もと調べをした上で、半七はかんがえながら云った。「なにしろ御心配ですね。これがお店にかかり合いのある者の仕業《しわざ》なら、案外に手っ取り早く埓《らち》が明くかも知れませんが、通りがかりの出来ごころで、ああ綺麗な児だと思って引っ攫って行かれたのじゃあ、その詮議がちっと面倒になる。しかしまあ折角のお頼みですから、なんとか出来るだけの事をしてみましょう。御主人にもよろしく仰しゃって下さい」
「なにぶん宜しく願います」と、要助は繰り返して頼んで帰った。
それを見送って、寄り付きの二畳へ出て来た半七は、誰か表に忍んでいるような気配《けはい》を覚った。要助が格子を閉めて出たあとから、半七もつづいて草履を突っかけて沓脱《くつぬぎ》へ降りて、そっと格子をあけて表を窺うと、今夜はあいにく闇であったが、何者かが足音をぬすんで立ち去るらしかった。
「おい、そこにいるのは誰だ」
声をかければ逃げるのは判っていたが、無言で他人《ひと》を取り
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