し穽《あな》を掘っていやあがる」

     四

 そのあくる朝は晴れていたが、二月とは思われないような寒い風が吹いた。
「どうも悪い陽気だ。この春は雨が降らねえからいけねえ」
 そんなことを云いながら、半七は顔を洗っていると、菊園の番頭要助が早朝からたずねて来た。
「毎度お邪魔をいたして相済みませんが、実は親分さんのお耳に入れて置きたい事がございまして……」
「なにか又、出来《しゅったい》しましたかえ」
「乳母のお福がゆうべから戻りません。日暮れから姿が見えなくなりまして、どこへ行ったか判りませんので……」
「これまでに家《うち》を明けたことはありますかえ」
「いえ、あしかけ七年のあいだに、唯の一度も夜泊まりなどを致したことはございません。時が時でございますから、主人も心配いたしまして、もしや申し訳が無いなどと短気を起こしたのではあるまいかと……。お福ひとりではなく、若いおかみさんや近所の人達も一緒にいたのですから、たとい子供が見えなくなりましても、自分ばかりの落度《おちど》というのでも無いのですが、当人はひどく苦に病んで、きのうは碌々に飯も食わないような始末でしたから、もしや思い詰めて何かの間違いでも……。実は若いおかみさんも少し取りのぼせたような気味で、お福に万一の事があれば、お福ひとりは殺さない、自分も申し訳のために一緒に死ぬなどと申して居りますので、いよいよ心配が重なりまして……。何分お察しを願います」
 溜め息まじりに訴える番頭の顔を、半七は気の毒そうに眺めた。
「まったくお察し申します。そこで、わたしの調べたところじゃあ、お福の先《せん》の亭主は次郎吉という男で、今は浅草の聖天下《しょうでんした》にくすぶっているのだが、お福は時々そこへたずねて行くようなことはありませんかえ」
 それに対して、要助はこう答えた。お福は正直に勤める女といい、その宿も遠くない根岸にあるので、月に一度くらいは実家へ立ち寄ることを許してある。もちろん半日ぐらいで帰って来る。玉太郎はお福によく馴染んでいるので、宿へ行くときにも必ず一緒に連れて出る。そのほかには殆ど外出したことは無いから、恐らく浅草の先夫をたずねたことはあるまいと云うのである。
「坊やはお福によく馴染んでいるのですね」と、半七はまた訊《き》いた。
「生みの親よりも乳母を慕って居ります。お福の方でも我が子のように可
前へ 次へ
全24ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング