門が因縁をつけて関口屋から金を取る。それを大吉も目当てにしていたんですが、さてその談判がまとまって、いよいよ六百両の金を受け取ると、次右衛門はみんな自分のふところへ入れて、大吉には一文もやらない。お由が死んだ以上、大吉なぞにはもう用が無いという顔をしている。それでは大吉も不承知です。おれに相当の分け前をくれなければ、関口屋へ行っていっさいの種明かしをすると嚇かしたが、次右衛門は鼻であしらって、どうとも勝手にしろと空うそぶいている。せめて百両くれろと掛け合ったが、それも肯《き》かない。とうとう十両で追っ払われてしまったので、大吉は残念でならない。万養寺に隠れている年造と相談して、いわゆる最後の手段を取ることになりました。
 尤もそれまでには、年造も下谷へこっそりとたずねて行って、大吉のために口を利いてやったんですが、次右衛門はどうしても承知しない。その上に、湯島の一件を薄々気取っているような様子も見えるので、いよいよ助けては置かれないということになったんです。そこで九月二十日の夜なかに、年造が裏口から忍び込む。その露路は抜け裏になっているので、こういう時には都合がいい。安普請《やすぶしん》の古家ですから、年造は何の苦もなしに台所の雨戸をこじ明けてはいる。例のごとく、大吉は外で見張り番を勤めていました。
 大吉は現場を見ていないというので、詳しいことは判りませんが、年造は小刀のような物を持って、次右衛門の寝込みを襲って、思い通りに相手を仕留めて、さてその金のありかを探すと、仏壇の抽斗《ひきだし》に百両、ボロ葛籠《つづら》の底から百両、あわせて二百両だけは見付け出しましたが、残りの四百両の隠し場所がわからない。そのうちに近所の者が起きて来るらしいので、怱々《そうそう》にそこを逃げ出して、二人は無事に牛込へ帰りました。
 目あての六百両は残念ながら二百両しか手に入らない。それでも年造は正直に山分けにして、大吉も先ず納得したんですが、その親父の忠兵衛も悪い奴、その山分けの百両を年造に取られるのが惜しくなって、せがれの大吉をそそのかし、年造が疲れて寝ているところを絞め殺して、百両を取り上げてしまいました。死骸は寺の裏手の草原に埋め、ほとぼりの少し冷めた頃に、親子は二百両を持って、故郷の大阪へ帰るつもりでした。
 死骸は夜の明けないうちに埋めたんですが、この辺には野良犬が多い。そ
前へ 次へ
全26ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング