ています。ところが、その明神の山に一種の伝説があって、そこには『かむろ蛇』という怪物が棲んでいるという。それに就いてはいろいろの説がありまして、胴の青い、頭の黒い蛇、それが昔の子どもの切禿《きりかむろ》に似ているのでかむろ蛇と云うのだと、見て来たように講釈する者もあります。また一説によると、天気の曇った暗い日には、森のあたりに切禿の可愛らしい女の児が遊んでいる。その禿は蛇の化身《けしん》で、それを見たものは三日のうちに死ぬという。勿論めったに出逢った者も無いんですが、安永年間、水道端の荒木坂に店を開いている呉服屋渡世、松本屋忠左衛門のせがれは、二、三日|煩《わずら》い付いて急に死んだ。その死にぎわに、実は明神山でかむろ蛇を見たと話したそうです。
 そのほかにも二、三人、そういう例があると云い伝えられて、夜は勿論、暁方《あけがた》や夕方や、天気の曇った日には、みな用心して明神山へ登らない事にしていました。そんなところへ近寄らないのが一番無事なんですが、この氷川さまは小日向一円の総鎮守《そうちんじゅ》というのですから、御参詣をしないわけには行かない。祭礼は正五九《しょうごく》の十七日、この日にはかむろ蛇も隠れて姿を見せなかったようです。一体そんな云い伝えは嘘か本当かと、こんにちのあなた方から議論をされては困りますが、昔の人は正直にそれを信じていたんですから、まあ、そのつもりでお聴きください」

 安政五年の七月から八、九月にかけて、江戸には恐るべき虎列剌《コレラ》病が流行した。いわゆる午年《うまどし》の大コロリである。凄まじい勢いを以って蔓延《まんえん》する伝染病に対して、防疫の術《すべ》を知らない其の時代の人々は、ひたすら神仏の救いを祈るのほかは無いので、いずこの神社も仏寺も参詣人が群集して、ふだんは比較的にさびしい小日向の氷川神社にも、この頃は時をえらばぬ参詣人のすがたを見た。伝説のかむろ蛇よりも、目前のコロリが恐ろしかったのであろう。
 悪疫の大流行を来たした年だけに、秋とは名ばかりで残暑が強かった。その八月の末である。小日向水道|町《ちょう》の煙草屋、関口屋の娘お袖が母のお琴と女中のお由と、三人連れで氷川神社に参詣した。関口屋はここらの老舗《しにせ》で、ほかに地所|家作《かさく》も持っていて、小僧二人のほかに若い者三人、女中三人の暮らしである。家族は主人の次兵衛
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