ある。腕斬りの一件を聴いて、かれは眼を丸くして云った。
「それは驚きましたね。だが、わたしはこの通りだから御安心ください」
 彼は両手をひろげて、いつものカンカン踊りをやって見せた。その両腕はたしかに満足に揃っていた。こうなると、ここらの人々は唯ぽかん[#「ぽかん」に傍点]と口を明いているのほかは無かった。

     二

 神田三河町の半七の家では、親分と庄太が向かい合っていた。
「だが、土地の奴らも愚昧《ぼんくら》ですよ」と、庄太は笑った。「土地の奴らはまあ仕方がないとしても、町役人でも勤める奴らはもう少し眼が明いていそうなものだが……。その腕は現場で斬られたものじゃあねえ、何処からか捨てに来たのか、犬がくわえて来たのか、二つに一つですよ。人間の腕一本を斬ったら、生血《なまち》がずいぶん出る筈だが、そこらに血の痕なんか碌々残っていやあしません」
「初めにそれを見付けたという常磐津の師匠はどんな女だ」と、半七は訊《き》いた。
「実相寺門前にいる文字吉という女で、わっしがたずねて行ったときには、湯に行ったとか云うので留守でしたが、近所の話じゃあ何でも年は三十四五で、色のあさ黒い、力《りき》んだ顔の、容貌《きりょう》は悪くない女だそうで……。浄瑠璃は別にうまいという程でもねえが、なかなか良い弟子があって、ずいぶん遠い所から通って来るのがあるので、場末の師匠にしては内福らしいという噂です」
「文字吉には旦那も亭主もねえのか」と、半七はまた訊いた。
「旦那はあります」と、庄太は答えた。「原宿|町《まち》の倉田屋という酒屋の亭主だそうですが、文字吉は感心にその旦那ひとりを守っていて、ちっとも浮気らしい事をしねえばかりか、その旦那に遠慮して男の弟子をいっさい取らねえと云うのです。今どきの師匠にゃあ珍らしいじゃありませんか」
「めずらしい方だな。奉行所へ呼び出して、鳥目《ちょうもく》五貫文の御褒美でもやるか」と、半七は笑った。
「師匠はまあそれとして、さてその腕の一件だが……。その唐人飴屋というのは何奴かな。家《うち》はどこだ」
「四谷の法善寺門前の虎吉という奴だと聞きましたから、実は帰り路に四谷へまわって、北|町《まち》の法善寺門前を軒別《のきなみ》に洗ってみましたが、虎も熊も居やあしません。野郎、きっと出たらめですよ」
「そうかも知れねえ。だが、この広い江戸にも唐人飴が五十人も百人もいる筈はねえ。それからそれへと仲間を洗って行ったら、大抵わかるだろう」
「じゃあ、すぐに取りかかりますか」
「ともかくもそうしなけりゃあなるめえ」と、半七は云った。「丁度いいことには、下っ引の源次の友達に飴屋がある筈だ。あいつと相談してやってくれ。おれも青山へ一度行ってみよう」
 云いかけて、半七は又かんがえた。
「なあ、庄太。土地の者はその飴屋を隠密だとか捕方《とりかた》だとか云っているそうだが、よもやそんなことはあるめえな」
 隠密や捕吏が何かの恨みを受けた為に、或いは何かの犯罪露顕をふせぐ為に、闇討ちに逢うようなことが無いとは云えない。もしそうならば、その片腕を人目に触れるような場所へ捨てる筈はあるまい。殊に証拠となるべき唐人服の片袖をそのままに添えて置くなどは余りに用心が足らないように思われる。しかし又、世間には大胆な奴があって、わざと面当てらしくそんな事をしないとも限らない。もしそうならば、あの辺に住む悪旗本か悪御家人などの仕業《しわざ》である。相手が屋敷者であると、その詮議がむずかしいと半七は思った。
 そのうちに庄太は俄かに叫んだ。
「あ、いけねえ。飛んだことを忘れていた。親分、堪忍しておくんなせえ。実はその腕はね、切れ味のいい物ですっぱりとやったのじゃあありません。短刀か庖丁でごりごりやったらしい。その傷口がどうもそうらしく見えましたよ」
「そうか」と、半七は更にかんがえた。そうすると、その下手人《げしゅにん》は屋敷者では無いらしい。なんにしても、ここで考えていても果てしが無い。現場を一応調べた上で、臨機応変の処置を取るのほかは無いので、やはり最初の予定通りに、まず飴屋の仲間を洗わせることにした。下っ引の源次は下谷で飴屋をしている。それと相談して万事いいようにしろと、庄太に重ねて云い含めた。
「ようがす。親分はあした青山へ出かけますかえ」
「日暮れにさしかかって場末へ踏み出しても埓が明くめえ。あしたゆっくり出かける事にしよう」
「それじゃあ、その積りでやります」
 庄太は約束して帰った。帰る時に、彼はきょうの掘り出し物を自慢して、これも青山へ墓まいりに行ったお蔭であるから、死んだ親父の引き合わせかも知れないなどと云って、半七を笑わせた。まったく親は有難い、お前のような不孝者にも掘り出し物をさせてくれるとからかわれて、庄太はあたまを掻いて帰った。
 あくる朝は晴れていた。半七は八丁堀の屋敷へ行って、唐人飴の探索に取りかかることを一応報告した上で、山の手へぶらぶら上《のぼ》ってゆくと、時候は旧暦の四月であるから、青山あたりは其の名のように青葉に包まれていた。
 ここらの土地の姿は明治以後著しく変ってしまって、殆ど昔の跡をたずぬべきようも無いが、こんにち繁昌する青山の大通りは、すべて武家屋敷であったと思えばよい。町屋《まちや》は善光寺門前と、この物語にあらわれている久保町の一部に過ぎない。青山五丁目六丁目は百人町の武家屋敷で、かの瞽女節《ごぜぶし》でおなじみの「ところ青山百人町に、鈴木|主水《もんど》という侍」はここに住んでいたらしい。
 その寂しい場末の屋敷町にさしかかって、半七は思わず足を停めた。芝居の鳴り物が耳に入ったからである。江戸辺から行けば、右側が久保町で、その筋むかいの左側に梅窓院の観音がある。観音のとなりにも鳳閣寺という真言宗の寺があって、芝居の鳴り物はその寺の境内《けいだい》からきこえて来るのであった。
「むむ、小三《こさん》の芝居か」
 江戸の劇場は由緒ある三座に限られていたが、神社仏閣の境内には宮芝居または宮地芝居と称して、小屋掛けの芝居興行を許されていた。勿論、丸太に筵張《むしろば》りの観世物小屋同様のものであるが、その土地相応に繁昌していたのである。鳳閣寺の宮芝居は坂東小三という女役者の一座で、ここらではなかなかの人気者であることを半七は知っていた。
 小三の名は知っていたが、半七は曾てその芝居を覗いたことはないので、一体どんな様子かと、鳴り物に誘われて境内へはいると、型ばかりの小屋の前には、古い幟《のぼり》や新しい幟が七、八本も立ちならんで、女や子供が表看板をながめているのが、葉桜のあいだに見いだされた。小屋のなかでは鉦や太鼓をさわがしく叩き立てていた。和藤内《わとうない》の虎狩が今や始まっているのである。看板にも国姓爺《こくせんや》合戦と筆太《ふでぶと》にしるしてあった。
「国姓爺か。大物をやるな」
 半七はふと何事かを考え付いたので、十六文の木戸銭を払ってはいった。虎狩の場に出るのは、和藤内の母と和藤内と、唐人と虎だけである。座頭《ざがしら》の小三が和藤内に扮して、お粗末な縫いぐるみの虎を相手に大立ち廻りを演じていた。それだけを見物して、半七はもう帰ろうとしたが、また思い直して次の一幕を見物した。次は楼門の場である。
 この場には和藤内の父母と、和藤内と錦祥女《きんしょうじょ》と、唐人と唐女が出る。錦祥女は小三の弟子の小三津《こみつ》というのが勤めていた。舞台顔で本当の年を測《はか》るのはむずかしいが、小三津はせいぜい二十四五であるらしく、眼鼻立ちの整った細面《ほそおもて》で、ここらの芝居の錦祥女には好過ぎるくらいの容貌《きりょう》であった。木戸銭十六文の宮芝居であるから、鬘《かつら》も衣裳も惨《みじ》めなほどに粗末であるのを、半七は可哀そうに思った。
 虎狩の場に出る虎もなかなかよく動いた。虎にしては胴体が小さく、なんだか犬のようにも見えたが、身軽に飛び廻って、二、三度も宙返りを打ったりして、大いに観客を喜ばせていた。女役者にこんな芸の出来る筈はない。虎は男が縫いぐるみを被《かぶ》っているに相違ないと、半七は鑑定した。

     三

 鳳閣寺の境内を出て、半七は更に久保町へむかった。ここらにも町名主《ちょうなぬし》の玄関はある。半七はその玄関をおとずれて町《ちょう》役人に逢い、かの片腕の一件についてひと通りのことを訊《き》きただしたが、庄太の報告以外に新らしい発見もなかった。唯ここで少しく意外に感じたのは、疑問の唐人飴屋がきのうも平気でここへ姿をあらわしたという事であった。しかも其の両手は満足に揃っているというのである。
「あの飴屋は毎日いつごろ廻って来ます」と、半七は訊いた。
「大抵八ツ(午後二時)頃です」
 八ツまではまだ半ときほどの間《ひま》がある。そのあいだに遅い午飯《ひるめし》を食うことにしたが、ここらの勝手をよく知らない半七は、迂濶《うかつ》なところへ飛び込むのは気味が悪いと思って、当座の腹ふさぎに近所の蕎麦屋へはいると、ほかに一人の客もなかった、注文の蕎麦の出来るのを待つあいだ、煙草を吸いながら見まわすと、くすぶった壁には彼《か》の坂東小三の芝居のビラが掛けてあった。
 店は狭いので、釜前に立ち働いている亭主はすぐ眼のさきにいる。半七はビラを見返りながら亭主に声をかけた。
「小三の芝居はなかなか景気がいいね」
「ご見物になりましたか」と、亭主は云った。
「実は今、二幕ばかり覗いて来たのだが、宮芝居でも馬鹿にゃあ出来ねえ。みんな相当に腕達者だ」
 土地の芝居を褒められて、亭主も悪い心持はしないらしく、にこにこしながら答えた。
「どうでお江戸の方々の御覧になるような物じゃあござんすまいが、相当によくすると皆さんが云っておいでですよ。あれでも此処らじゃあなかなかの評判です」
「そうだろうな。錦祥女をしている小三津というのは綺麗だね」
「ええ、小三津は年も若いし、容貌《きりょう》もいいので、人気者ですよ」
 蕎麦を食いながら亭主の話を聞くと、座頭の小三はもう三十七八である。小三津はその弟子で、まだ二十二三である。小三津は今度の錦祥女も評判がいいが、この前の「鎌倉三代記」の時姫もよかった。そんなわけで、小三津はこの一座の花形であるが、なぜか此の頃は師匠の機嫌を悪くして、このあいだも楽屋でひどく叱られた。小三津は泣いて退座すると云い出したが、花形役者に退《の》かれては興行にさわるので、ほかの人々が仲裁して無事に納めた。
「なんと云っても女同士の寄合いですから、いろいろうるさいと見えますよ」と、亭主は云った。
「小三津はなんで師匠に叱られた。舞台の出来が悪かったのか、それとも色男でもこしらえたか」と、半七は笑いながら訊いた。
「小三津は堅い女で、これまで浮いた噂も無し、今でもそんなことは無いらしいというのですが……」と、亭主は首をかしげながら云った。「それですから幾らか給金も溜めているし、着物なぞも相当に拵《こしら》えていたのだそうですが、それをどうしてかみんな無くしてしまったのを、師匠に見付けられて叱られたのだとかいう噂です。どうしたのですかね」
「博奕《ばくち》でも打つかな」
「まあ、そんなことかも知れません。その連中には女でも手慰《てなぐさ》みをする者がありますからね。地道《じみち》なことで無くしたのなら、師匠もそんなに叱る筈はありません。なにか悪いことをしたのでしょうね」
「むむ」と、半七は蕎麦の代りをあつらえながら又訊いた。
「今見たら、木戸前に小三津の新しい幟が立っている。呉れた人は常磐津文字吉とある。小三津は文字吉に何か係り合いがあるのかね」
「文字吉は実相寺門前の師匠ですが、小三津をたいへん贔屓《ひいき》にして、楽屋へ遣《つか》い物をしたり幟をやったり、近くの料理屋へ呼んだりしたので、小三津の方でも喜んで、このごろでは師匠の家《うち》へもちょいちょい出這入りをしているようです」
「それで叱られたわけでもあるめえ」
「勿論それは別の話で……」と、亭主は笑っていた。「芸人同士、
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング