った。
 あくる朝は晴れていた。半七は八丁堀の屋敷へ行って、唐人飴の探索に取りかかることを一応報告した上で、山の手へぶらぶら上《のぼ》ってゆくと、時候は旧暦の四月であるから、青山あたりは其の名のように青葉に包まれていた。
 ここらの土地の姿は明治以後著しく変ってしまって、殆ど昔の跡をたずぬべきようも無いが、こんにち繁昌する青山の大通りは、すべて武家屋敷であったと思えばよい。町屋《まちや》は善光寺門前と、この物語にあらわれている久保町の一部に過ぎない。青山五丁目六丁目は百人町の武家屋敷で、かの瞽女節《ごぜぶし》でおなじみの「ところ青山百人町に、鈴木|主水《もんど》という侍」はここに住んでいたらしい。
 その寂しい場末の屋敷町にさしかかって、半七は思わず足を停めた。芝居の鳴り物が耳に入ったからである。江戸辺から行けば、右側が久保町で、その筋むかいの左側に梅窓院の観音がある。観音のとなりにも鳳閣寺という真言宗の寺があって、芝居の鳴り物はその寺の境内《けいだい》からきこえて来るのであった。
「むむ、小三《こさん》の芝居か」
 江戸の劇場は由緒ある三座に限られていたが、神社仏閣の境内には宮芝居ま
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