、今度のは色の黒い、頑丈な腕です。前のは若い奴でしたが、今度のはどうしても三十以上、四十ぐらいの奴じゃあねえかと思われます。なにしろ泊まり込みで網を張っていながら、こんな事になってしまって、なんと叱られても一言《いちごん》もありません。庄太が一生の不覚、あやまりました」
 彼はしきりに恐縮していた。
「今さら叱っても後《あと》の祭りだ。その罪ほろぼしに身を入れて働け」と、半七は苦笑《にがわら》いした。「おめえは早く青山へ引っ返して、そこらの外科医者を調べてみろ。今度斬られたのは近所の奴だ。ゆうべのうちに手当てを頼みに行ったに相違ねえ。斬った奴も大抵心あたりがある。おれは誰かを連れて行って、その下手人を見つけてやる」
「下手人はあたりが付いていますか」
「大抵は判っている。やっぱり眼のさきにいる奴だ。浅川の芝居にいる市川照之助だろう。あいつは力を授かるために仁王さまを拝んでいたらしい。どうもあいつの眼の色が唯でねえと、おれはきのうから睨んでいたのだ」
「でも、唐人飴とどういう係り合いがあるのでしょう。斬られた腕は二度とも唐人飴の筒袖を着ていたのですが……」
「おめえは知るめえが、鳳閣寺の女芝居で国姓爺の狂言をしている。十六文の宮芝居だから、衣裳なんぞは惨めなほどにお粗末な代物《しろもの》で、虎狩や楼門に出る唐人共も満足な衣裳を着ちゃあいねえ。みんな安更紗の染め物で、唐人飴とそっくり[#「そっくり」に傍点]の拵えだ。それを見ると、今度の腕斬りの一件は、この女芝居の楽屋に係り合いがあるらしいと思っていたが、いよいよそれに相違ねえ。照之助という奴が誰かの腕を斬って、それに唐人の衣裳の袖をまき付けて、わざと羅生門横町へ捨てて置いたのだろう。その訳も大抵察しているが、それを云っていると長くなる。これだけのことを肚《はら》に入れて、おめえは早く青山へ行け」
 この説明を聞かされて、庄太は幾たびかうなずいた。
「わかりました。すぐに行きます」
 庄太が出ていった後、半七も身支度をして待っていると、やがて亀吉が顔を出した。
「おい、亀、御苦労だが、青山まで一緒に行ってくれ」と、半七はすぐに立ち上がった。「筋は途中で話して聞かせる」
 こんなことには馴れているので、亀吉は黙って付いて来た。
 大体の筋を話しながら、青山まで行き着くあいだに、きょうの空は怪しく曇って来たが、どうにか今夜ぐらいは持つだろうと半七は云った。ここらの宮芝居は明るいうちに閉場《はね》ることになっている。殊に照之助は虎狩に出るだけの役らしいので、ぐずくずしていると帰ってしまうかも知れないと、二人は鳳閣寺へ急いで行くと、桶屋の源次が門前に待っていた。
 二人を見ると、源次は駈けて来て、顔をしかめながら訊いた。
「さっき庄太さんに逢いましたが、又ほかに変なことがあるので……」
「又ほかに……。何が始まった」と、半七は催促するように訊《き》いた。
「ここの小屋の様子を探ってみると、虎を勤める奴は確かに市川照之助ですが、きょうは楽屋に来ていません。呼び物の虎が出て来ない上に、錦祥女を勤める坂東小三津という女役者も急病だというので、きょうは舞台を休んでいるのです。表向きは急病と云っているが、実は其のゆくえが知れないので、芝居の方じゃあ大騒ぎをしているそうです。時が時だけに、少し変じゃあありませんかね」
「むむ。それも面白くねえな」と、半七は舌打ちした。「そこで小三津の家《うち》はどこだ」
「小三津は師匠の小三の家にいるのです。小三の家は善光寺門前です」
「照之助の家は……」
「照之助は兄きの岩蔵と一緒に、若松町の裏店《うらだな》に住んでいます。兄きも役者で市川岩蔵というのですが、芝居が半分、博奕が半分のごろつき肌で、近所の評判はよくねえ奴です。おふくろはお金といって、常磐津の師匠の文字吉の家《うち》へ雇い婆さんのように手伝いに行っていますが、こいつもなかなかしっかり[#「しっかり」に傍点]者のようです。実は照之助の家を覗きに行ったのですが、兄きも弟も留守で、家は空《から》ッぽでした」
「岩蔵はどこの小屋に出ているのだ」
「弟と一緒に、ここの芝居へ出ていたのですが、それに就いて何か面倒が起こって、この二、三日は休んでいるようです」
 これで唐人飴の謎も半分は解けたように、半七は思った。最初に発見されたのは、市川岩蔵の腕である。二度目の腕は誰か判らないが、それを斬ったのは市川照之助である。照之助は兄のかたき討ちに、相手の腕を斬ったらしい。そうして、同じ唐人の衣裳の袖につつんで、同じ場所へ捨てたらしい。二度目の腕の主《ぬし》は、庄太が外科医を調べて来れば、大抵は知れる筈である。
 唯わからないのは、最初からここらに立ち廻っている疑問の唐人飴屋の正体である。もう一つは、坂東小三津のゆくえ不明で
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