を演じたので、近所の者は胆《きも》を冷やした。そうして、かの唐人飴は公儀の隠密か、町方《まちかた》の手先が変装して、長英の探索に立ち廻っていたに相違ないということになった。
 ところが、その唐人飴は長英一件の後も相変らず商売に廻って来た。飴売りは年ごろ二十二三の、色の小白い、人柄の悪くない男で、誰に対しても愛嬌を振り撒いているので、内心はなんだか薄気味悪いと思いながらも、特に彼を忌《い》み嫌う者もなかった。彼も平気で長英の噂などをしていた。そのうちに、その年の冬から翌年の春にかけて、ここらで盗難がしばしば続いた。
「あの唐人飴は泥坊かも知れない」
 人の噂は不思議なもので、最初は捕吏かと疑われていた彼が、今度は反対に盗賊かと疑われるようになった。昼間は飴を売りあるいて家々の様子をうかがい、夜は盗賊に変じて仕事をするのであろうという。実際そんなことが無いとも云えないので、その噂を信ずる者も相当にあったが、さりとて確かな証拠も無いのでどうすることも出来なかった。
「あの飴屋が来ても買うのじゃあないよ」
 土地の人たちは子供らを戒めて、飴を買わせないようにした。商売がなければ、自然に来なくなるであろうと思ったのである。こうして土地の人たちから遠ざけられているにも拘らず、彼はやはり商売に廻って来た。子供が買っても買わなくても、かれは鉦《かね》をたたいて、おかしな唄を歌って、唐人のカンカン踊りを見せていた。この頃は碌々に商売もないのに、根《こん》よく廻って来るのは怪しいと、人々はいよいよ白い眼を以って彼を見るようになったが、彼は一向に平気であるらしかった。或る人がその名を訊《き》いたらば、虎吉と答えた。家は四谷の法善寺門前であると云った。
 四月十一日の朝である。久保町の豆腐屋定助が商売柄だけに早起きをして、豆腐の碓《うす》を挽《ひ》いていると、まだ薄暗い店先から一人の女が転げるように駈け込んで来た。
「ちょいと、大変……。あたし、本当にびっくりしてしまった」
 女は、この町内の実相寺門前に住む常磐津の師匠文字吉で、なんの願《がん》があるか知らないが、早朝に熊野さまへ参詣に出てゆくと、御熊野横町、即ち彼《か》の羅生門横町で人間の片腕を見付けたと云うのである。
「あの羅生門横町で……。又、人間の腕が……」
 定助も顔の色を変えた。しかも彼は自分ひとりで見届けに行くのを恐れて、文
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