弥兵衛は別な人で、これは薬罐平さんのようには行きません。それに、親分よりも子分の角兵衛というのが幅を利かして……。本名は角蔵とか角次郎とかいうのでしょうが、ここらではみんなが角兵衛と云っています。その角兵衛さんがあんまり評判のよくない人で……」
 亭主がここまで話して来た時に、暖簾《のれん》の外から覗き込んだのは庄太であった。亭主が眼のさきにいるのを見て、彼は半七を表へ呼び出した。
「どうだ、判ったか」と、半七は小声で訊いた。
「わかりました」と、庄太も小声で云った。「この近所に外科医はねえので、だんだん探して宮益《みやます》坂まで行きました。岡部向斎という医者で、何か口留めされていると見えて、最初はシラを切っていましたが、こっちが御用の風を匂わせたので、とうとう正直に云いました。どこで斬られたのか知らねえが、ゆうべの四ツ過ぎに、原宿の弥兵衛の子分が怪我人をかつぎ込んで来た。怪我人は弥兵衛の一の子分の角兵衛という奴で、左の腕を斬り落とされていたそうです。多分喧嘩でもしたのだろうが、まあ死ぬような事はあるまいと云っていました」
 二度目の腕の主《ぬし》は、今や亭主の噂にのぼった角兵衛であった。斬られた角兵衛は秘密にしているにしても、人の腕を斬って往来へ投げ捨てて、世間を騒がした照之助を不問に付《ふ》して置くわけには行かない。この上はいよいよ照之助のありかを詮議しなければならないが、何をするにも寺社方の諒解を得て置かなければ不便であるので、その後の仕事を庄太と亀吉にたのんで、半七は再びここを引き揚げることにした。
 彼はその足で八丁堀同心の屋敷へまわって、いっさいの経過を報告して、町奉行所から寺社方へ通達の手続きを頼んだ。それから神田の家へ帰ると、その夜更けに亀吉と源次も帰って来た。
 かれらの報告によると、角兵衛は親分の弥兵衛の家で傷養生をしている。岩蔵はどうしているか判らないが、常磐津の師匠の家に寝込んでいるのではないかと思われるのは、おふくろのお金が赤坂まで金創の塗り薬を買いに行ったことである。師匠の文字吉は風邪を引いたと云って稽古を断わり、湯にも行かず引き籠っていると云うのである。
「そこで、飴屋はどうした」
「飴屋は一日来ませんでした」と、亀吉は云った。「近所の者は、きょうに限ってあの飴屋の来ないのは不思議だ。今度こそはあの飴屋の腕だろうなぞと噂をしていますよ
前へ 次へ
全26ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング