を見つけてくれ。常磐津の師匠と雇い婆、あいつらもなんだか胡散《うさん》だから、出這入りに気をつけろ」
 なにを云うにも人通りの少ない場末の町である。そこをいつまでも徘徊しているのは、人の目に立つ虞《おそ》れがあるので、半七はここで源次に別れて、ひとまず引き揚げることにした。
 帰るときに半七は、念のために浅川の芝居の前へ行った。その頃の青山には、今の人たちの知らない町の名が多い。久保町から権田原の方角へ真っ直ぐにゆくと、左側に浅川町、若松町などという小さい町が続いている。それは現今の青山北町二丁目辺である。その浅川町の空地《あきち》にも小屋掛けの芝居があって、これは男役者の一座である。半七は小屋の前に立って眺めると、庵看板《いおりかんばん》の端《はし》に市川照之助の名が見えた。
 この時、半七の袖をそっと引く者があるので、見返れば庄太が摺りよっていた。
「源次に逢いましたか」と、彼はささやくように訊《き》いた。
「むむ、逢った。善光寺前にうろ付いている筈だ。あいつと打ち合わせて宜しく頼むぜ」
「ようがす」
 半七はあとを頼んで神田へ帰った。彼が鳳閣寺内の宮芝居をのぞいたのは、単に芝居好きであるが為ではない。そこで「国姓爺合戦」を上演していたからである。そうして、案の如くに一つの手がかりを掴んだ。まだそれだけでは此の事件を完全に解決することは出来なかった。彼は文字吉に就いても考えなければならなかった。小三津や照之助についても考えなければならなかった。
 あくる日の午前《ひるまえ》に、庄太が汗をふきながら駈け込んで来た。
「親分、済みません。おおしくじりだ。まあ、堪忍しておくんなせえ」
 きのうの日暮れ方に源次を帰して、彼は百人町の菩提寺にひと晩泊めて貰った。しかもその夜のうちに、眼と鼻のあいだで、又もや一つの椿事が出来《しゅったい》したと云うのである。
「どうした」と、半七は訊いた。「また斬られた奴があるのか」
「その通り……。場所も同じ羅生門横町に、唐人飴の片腕がまた落ちていました」
「そうか」と、半七はにやりと笑った。「それからどうした」
「やっぱり唐人の筒袖のままです。なんぼ羅生門横町でも、三日と経《た》たねえうちに二度も腕を斬られたのだから、近所は大騒ぎ、わっしも面くらいましたよ」
「腕は前のと同じようか」
「違います。前のは生《なま》っ白《ちろ》い腕でしたが
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