半七捕物帳
唐人飴
岡本綺堂
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)鉦《かね》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)青山百人|町《まち》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉《しんこ》細工
−−
一
こんにちでも全く跡を絶ったというのではないが、東京市中に飴売りのすがたを見ることが少なくなった。明治時代までは鉦《かね》をたたいて売りに来る飴売りがすこぶる多く、そこらの辻に屋台の荷をおろして、子どもを相手にいろいろの飴細工を売る。この飴細工と※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉《しんこ》細工とが江戸時代の形見といったような大道《だいどう》商人《あきんど》であったが、キャラメルやドロップをしゃぶる現代の子ども達からだんだんに見捨てられて、東京市のまん中からは昔の姿を消して行くらしく、場末の町などで折りおりに見かける飴売りにも若い人は殆ど無い。おおかたは水洟《みずっぱな》をすすっているような老人であるのも、そこに移り行く世のすがたが思われて、一種の哀愁を誘い出さぬでもない。
その飴売りのまだ相当に繁昌している明治時代の三月の末、麹町の山王山《さんのうさん》の桜がやがて咲き出しそうな、うららかに晴れた日の朝である。わたしは例のごとく半七老人をたずねようとして、赤坂の通りをぶらぶら歩いてゆくと、路ばたには飴屋の屋台を取りまいて二、三人の子どもが立っている。
それは其の頃の往来にしばしば見る風景の一つで、別に珍らしいことでも無かったが、近づくにしたがって私に少しく不思議を感じさせたのは、ひとりの老人がその店の前に突っ立って、飴売りの男と頻りに話し込んでいることであった。彼は半七老人で、あさ湯帰りらしい濡れ手拭をぶら下げながら、暖い朝日のひかりに半面を照らさせていた。
半七老人と飴細工、それが不調和の対照とも見えなかったが、平生《へいぜい》から相当に他人《ひと》のアラを云うこの老人としては、朝っぱらから飴屋の店を覗いているなどは、いささか年甲斐のないようにも思われた。この老人を嚇《おど》すというほどの悪意でもなかったが、わたしは幾らか足音を忍ばせるように近寄って、
次へ
全26ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング