しゅったい》に及びました」
「矢口渡ですか」
「そうです、そうです。矢口渡か、カチカチ山です」と、老人はうなずいた。「わたくしは現場に居合わせたわけでもありませんから、見て来たようなお話は出来ませんが、帰る時も前と同様に、供の男たちは徒歩《かち》で陸を帰り、主人側三人と女中三人は船で帰ることになって、船頭の千太が船を漕いで、小名木《おなぎ》川をのぼって行きました。御承知の通り、深川は川の多いところですが、この時は小名木川の川筋から高橋、万年橋を越えて、大川筋へ出ました。ここは新大橋と永代橋のあいだで、大川の末は海につづいている。その川中まで漕ぎ出した頃に、どうしたものか、屋根船の底から水が沁み込んで来ました。女中たちが見つけて騒ぎ出す、主人もおどろく、船頭も驚いてあらためると、船底の穴から水が湧き込んで来るんです。慌てて有り合わせた物を栓にさしたが、どうも巧く行かない。ふだんならば此の辺に何かの船が通る筈ですが、あいにく夕方でほかの船も見えない。そのうちに水はだんだんに増して来て、大きくもない屋根船は沈みかかる。船頭は大きい声で助け船を呼ぶ。女中たちも必死になって呼び立てる。それを聞き
前へ 次へ
全50ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング