ない。自分の方から頼んで置きながら何のことだと、半七は肚《はら》のうちで舌打ちしたが、武家屋敷の仕事は大抵こんなものだと覚悟しているので、小梅の長五郎から聞き出した一種の秘密を唯一《ゆいいつ》の材料にして、ひそかに探索を進めて行くのほかは無かった。
こんなわけで、とかくに仕事が捗取《はかど》らず、半七らを苛々《いらいら》させていると、それから十日ばかりの間に、二つの事件が出来《しゅったい》して、更に彼等を苛立たせた。その一つは二月二十三日の朝、かの深川の寅吉という船頭が何者にか殺害されたことである。浄心寺のうしろは山本町で、その山本町から三好町の材木置場へ通うところに小さな橋がある。寅吉の死骸はその橋の下に浮かんでいたが、右の肩先からうしろ袈裟《げさ》に斬られているのを見ると、その相手は恐らく武士《さむらい》で、うしろから一刀に斬り倒して、死骸を河へ投げ落としたのであろうと察せられた。
検視の上、このごろ流行る辻斬りの仕業《しわざ》であろうということになったが、辻斬りをする者がその死骸をわざわざ河のなかへ投げ込んでゆく筈がない。幸次郎の報告によって、その下手人が誰であるかを半七は大かた推量していた。寅吉の出入りを尾けていた幸次郎は、彼が何処をどう歩いて、何者に斬られたかを窃《ひそ》かに見とどけたのであった。下手人は物蔭に窺っている幸次郎のすがたを見て、一目散に逃げてしまった。
次は二月二十八日の朝、築地南小田原町の河岸《かし》に心中の男女の死骸が発見された。それは彼《か》の三河屋の前の河岸につないである屋根船のなかの出来事で、その船は浅井の屋敷の人々を沈めたという因縁つきの物である。浅井の一件が落着《らくぢゃく》次第、当然焼き捨てらるべき船のなかで、更に第二の悲劇が演ぜられたのは、いわゆる呪いの船とでも云うべきであろうか。
しかもこの心中は噂ばかりで、その実際を見とどけた者は少なかった。その噂を聞き伝えて見物人が寄り集まって来る頃には、二つの死骸はすでに取り片付けられて、形見の船が春雨《はるさめ》に濡れているばかりであった。
「心中は綺麗な若いお武家と、若い女だ」
それを見た者は云い触らした。男は十七八の美しい武士で、女は二十歳《はたち》前後の、武家奉公でもしていたらしい風俗である。二人は船のなかに座を占めて、男は脇差で先ず女を刺し殺し、自分も咽喉《のど》
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