六で、可哀そうな事をしました。おかみさんは三十二三の小粋な女ですが、まだ独り者で暮らしているそうです」
善吉がきのう久し振りで出逢ったというお六の人相や服装《みなり》を聞いて、それが彼《か》の中年増の女に相違ないことを半七は確かめた。彼女は果たして鳥屋の女房であった。彼女は店を畳むときに、飼い残りの鶏をどこへか売ったのであろうと察せられた。
それにしても、かの鶏がなぜ旧主人のお六に襲いかかったのか。そのむかし彼女に虐待されたのを恨んだのか、雌鶏が殺されたのを恨んだのか。鶏はどれほど記憶がよいか知らないが、小一年の後までも其の人の顔や姿を見忘れないものであろうかと、半七は又かんがえた。しかもここに一つの疑いは、お六の亭主の変死一件である。その一件と鶏とを結び付けて考えれば、なにかの謎が解けないでもなかった。
「いや、朝っぱらからお邪魔をしました」
半七は下駄屋の店を出た。
三
その次の日の午頃に庄太が顔を見せると、彼はすぐに半七にひやかされた。
「おい、庄太。おれもぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]だが、おめえもよっぽどうっかり[#「うっかり」に傍点]者だぜ。例の一件の中年増はおめえの縄張り内の浅草で、しかも眼のさきの吾妻橋に住んでいたのじゃあねえか」
「いや、閉口。すっかり度忘《どわす》れをしてしまって……」と、庄太はあたまを掻いた。「家《うち》へ帰ってから思い出しましたよ。鳥亀、鳥亀……。いつか一度、親分を案内して行ったことがありましたよ」
「むむ。雪駄《せった》の皮のような軍鶏を食わせた家《うち》だ。そこで、きのうはどうした。大森へ出かけたか」
「行きましたよ。相変らず道が悪くって……。あの茶屋へ行って訊《き》いてみると、あれから医者が来て手当てをして、女は駕籠に乗って帰ったそうです。駕籠屋の話を聞くと、送り着けた先は品川の南番場で、海保寺という寺の門前……。それから帰りに覗いて見ましたら、女の家は桂庵《けいあん》で、主《おも》にあの辺の女郎屋や引手茶屋や料理屋の女の奉公人を出したり入れたりしているようです。女は去年の三月頃から引っ越して来て、二十五六の番頭と二人暮らしだが、その番頭というのが亭主か情夫《いろ》だろうという近所の評判ですよ。そこで、番頭というのはどんな奴だか、面《つら》をあらためてやろうと思ったが、あいにく留守で首実検は出来ませんでした。それからね、親分。鶏は助からねえ。その日の夕方に絞められてしまったそうですよ」
「鳥亀の亭主というのは、矢切の渡し場の近所へ釣りに行って、沈んでしまったというじゃあねえか」
「よく知っていなさるね」と、庄太は眼を丸くした。「実はわっしも今朝《けさ》調べて来たのですが、鳥亀の亭主の安蔵というのは、去年の春の彼岸に下矢切で土左衛門になったそうで……。こうなると親分のいう通り、ちっと変な事になりそうですね。これから矢切へ行って見たところで、去年のことじゃあ仕様がねえから、いっそ矢口へ行ってみましょうか。大森のかみ[#「かみ」に傍点]さんは曖昧なことを云っていましたが、ほかの女中にカマをかけて、鶏を売りに来た奴の居所《いどこ》をちゃんと突き留めて来ました。そいつは矢口の新田《にった》神社の近所にいる八蔵という奴だそうです」
「矢切で死んだ奴の詮議に矢口へ行く……。矢の字|尽《づく》しも何かの因縁かも知れねえ。おまけにどっちも渡し場だ」と、半七は笑った。「じゃあ気の毒だが矢口へ行って、あの鶏はどこで買ったのか、調べてくれ。こうなったら、ちっとぐらい手足を働かせても無駄にゃあなるめえ」
「そうです、そうです。こいつは何か引っかかりそうですよ。だが、これから矢口までは行かれねえから、あしたにしましょう」
なにかの期待をいだいて、庄太は威勢よく帰った。明くる日も寒い風が吹いたので、庄太も定めて弱っているだろうと思っていると、果たしてその日の灯《ひ》ともし頃に、彼はふるえながら引き上げて来た。
「矢口へ行って、八蔵という奴の家《うち》をさがし当てました。あの鶏はやっぱり海保寺門前の桂庵の家で買ったということですから、鳥亀の女房が売ったに相違ありません」
八蔵は農家の伜であるが、家には兄弟が多いので、彼は農業の片手間に飼い鶏《どり》や家鴨《あひる》などを売り歩いていた。大きい笊に麻縄の網を張ったような鳥籠を天秤棒に担《かつ》いで、矢口の村から余り遠くない池上《いけがみ》、大森、品川のあたりを廻っていたのである。去年の五月ごろ、彼は品川方面へ商売に出て、南番場の海保寺門前を通りかかると、桂庵の家から呼びかけられて、ひと番《つが》いの飼い鶏を買ってくれと云われた。八蔵は売るばかりが商売ではない。買って売って其のあいだに利益を見るのであるから、承知して売り値を訊《き》くと、幾
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