けた。「ゆうべはお前さんは、鳥亀とかいう軍鶏屋の話をしなすっていたね」
「じゃあ、お前さんも聴いておいでなすったのですか」
「柘榴口のなかで聴いていましたよ。一体その軍鶏屋は何処ですえ」
「以前は浅草の吾妻橋ぎわにあったのですが、亭主が死んだので店を仕舞って、おかみさんは品川の方へ引っ込んで、もう小一年も逢わなかったのですが、きのう思いがけなく川崎で逢いました」
「おかみさんはお六というのだね。亭主は……」
「安蔵といいました。御承知の通り、わたくしは釣り道楽で、鳥亀の亭主とはおなじ釣り師仲間で、ふだんから懇意にしていたのですが、どうも可哀そうな事をしまして……」
善吉の話によると、安蔵は去年の春の彼岸ちゅうに鮒《ふな》釣りに出た。近所の釣り場所は大抵あさり尽くしているので、柴又《しばまた》の帝釈堂《たいしゃくどう》から二町ほど離れた下矢切《しもやぎり》の渡し場の近所まで出かけたのである。ここらは利根川べりで風景もよい。安蔵は夜の明け切らないうちに浅草の家を出て、吾妻橋を渡って行った。それまでは家内の者も知っているが、その後の消息は判らない。それから二日ほど過ぎて、安蔵の死体は川しもで発見された。かれが片手に釣り竿を持っていたのを見ると、なにかの過失《あやまち》で足を踏みすべらせて、草堤《くさどて》から転げ落ちたのであろう。釣り好きではあるが、彼は泳ぎを知らなかった。
鳥亀の女房お六は上野辺で茶屋奉公をしていた女で、夫婦のあいだに子はなかった。その頃、軍鶏屋へ来て鳥鍋や軍鶏鍋を食うのは、あまり上等の客でない。女や子供はもちろん来ない。従って女あるじで此の商売をつづけて行くのはむずかしいというので、お六は思い切って店を閉めた。品川の南番場《みなみばんば》の辺に身寄りの者が住んでいるので、そこへ引っ越して小さい世帯《しょたい》を持つことにした。
「きのう逢ったときの話では、まあ無事に暮らしているということでした」と、善吉は云った。
「釣りに行って死んだ時には、誰も一緒じゃあなかったのだね」
「その時はあいにく安さん一人で出かけたので、どうして死んだのか、よく判らないのです。渡し場の船頭の話では、そんな釣り師の姿を見かけなかったということですから、行くと間もなくすべり落ちたのかも知れません。ほんとうに夜が明け切らないので足もとが暗かったのでしょう。なにしろまだ三十五か
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