をみやげにして、彼はむなしく引き揚げるのほかは無かった。半七は半介に負かされたように感じた。
 その明くる朝、徳次もぼんやりして神田の親分の家へ帰って来た。彼は浅草の山谷《さんや》へ行って、近所で磯野小左衛門のうわさを聞いたが、別にこれぞという手がかりも探り出せなかった。更にその近所に張り込んで、夜の明けるまで出入りを窺っていたが、怪しい影ひとつ見いだし得なかった。彼はむなしく疲れて引き揚げたのでる。
 徳次と半七の報告を聴いて、親分の吉五郎は云った。
「高輪の半介はまあ打っちゃって置け。お節が真者《ほんもの》か替玉か判らねえ以上は、野郎をいくら責めたところで埒は明くめえ。まさか草鞋《わらじ》もはくめえから、当分は生簀《いけす》に入れて置くのだ。なにしろこの騒動のおこる前に、鍋久で二度も金を取られたというのがどうも可怪《おか》しい。だが、ここにもう一つ考えようがある。お節という女がよくねえ奴で、気違いの振りをして亭主を殺して、自分は川へ飛び込んだ振りをして、うまく泳いで逃げようとしたところが、案外に水が増しているか、流れが早いか、それがために心ならずも押し流されて、狂言が本当になってし
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