が続いている上に、こんにちと違って江戸時代の吉原は、どんなに立派な大店でも屋根だけは板葺にする事になっていたんですから、火事の場合なぞはたまりません。片っぱしから火の粉を浴びて、それからそれへと燃えてしまうんです。したがって、怪我人なぞも多《おお》ござんしたよ。大勢の客が入り込んで、ほとんど夜あかしの商売ですから、自然に火の用心もおろそかになって、火事を起し易いことにもなるんですが、時には放火《つけび》もありました。娼妓のうちにも放火をする奴がある。大阪屋花鳥というのも其の一人ですが、こいつはひどい女でしたよ」
「大阪屋花鳥……。聞いたような名ですね。そう、そう、柳亭燕枝《りゅうていえんし》の話にありました」
「そうです。燕枝の人情話で、名題は『島千鳥沖津白浪《しまちどりおきつしらなみ》』といった筈です。燕枝も高座でたびたび話し、芝居にも仕組まれました。花鳥の一件は天保年中のことです。天保年中には吉原に大火が二度ありまして、一度は天保六年の正月二十四日で廓内全焼、次は天保八年の十月十九日で、これも廓内全焼でした。花鳥の放火を二度目の時のように云いますが、花鳥は自分の勤めている大阪屋を焼
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