ともかくも型の如くに葬式を済ませた。お節の死骸は遂に発見されなかった。
 こうして一旦は納まったものの、お節の入水も久兵衛の変死も近所ではみな知っているのであるから、人の口に戸は立てられぬという譬《たと》えの通りで、その噂はそれからそれへと伝わって、神田の吉五郎の耳にもはいった。
「鍋久の嫁が剃刀で亭主を殺した……。気ちがいに刃物とは全くこの事だから、どうも仕方がねえ。だが、旦那方の詮議もちっと足りねえようだな」
「すこし洗ってみましょうか」と、子分の徳次が云った。
「権兵衛のあとへ廻って、鴉《からす》がほじくるのも好くねえが、まあちっとほじってみろ。どうも気が済まねえことがあるようだ。おい、半七、おめえも徳次に付いて行って、御用を見習え」
「その時わたくしはまだ十九の駈け出しで……」と、半七老人はここで註を入れた。「後には吉五郎の養子になって、まあ二代目の親分株になったんですが、その頃は一向に意気地がありません。いわば見習いの格で、古参《こさん》の人たちのあとに付いて、ああしろこうしろのお指図次第に、尻ッ端折《ぱしょり》で駈けずり廻っていたんですから、時には泣くような事もありましたよ」

     三

 徳次に連れられて、半七が日本橋へ出て行ったのは、八月八日の朝であった。北新堀の鍋久をたずねて、番頭さんに逢いたいと云い込むと、勘兵衛はすぐに出て来た。岡っ引と知って、彼はちょっとその顔を陰らせたが、また俄《にわ》かに思い返したようにこころよく二人を奥へ案内した。ここは地方から出て来た商売用の客を接待する座敷であるらしく、床の間、ちがい棚の造作《ぞうさく》もなかなか整っていた。
「おかみさんは少し体を悪くいたして、あちらに臥《ふ》せって居りますので、御用はわたくしに承われと申すことでございます」と、番頭は丁寧に頭を下げた。
「ごもっともです」と、徳次も挨拶した。「いろいろと心配事が重なって、おかみさんも弱りなさる筈だ。そこで番頭さん。若いおかみさんの行方《ゆくえ》はまだ知れませんかえ」
「知れたと申しましょうか、知れないと申しましょうか。実はおとといの夕方、品川の弥平さんというお人が見えまして……」と、番頭は云った。「その人が前の晩に舟を出して、品川の海で海鰻《あなご》の夜釣りをしていたそうでございます。そこへ一人の女の死骸が流れてまいりましたので、気味が悪いと思
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