呼ぶ声がきこえた。しかも今度は「岩下左内、待て、待て」というのである。自分の名をはっきりと呼ぶからには、風の音や梟の声の聞き誤りではない。左内は「おれを呼ぶのは誰だ、何者だ。ここへ出て来い」と呶鳴り返したが、声はそれには答えないで、左内の名を呼びつづけるのである。左内は焦《じ》れて、その声を追ってゆくと、さらにまた違ったが方角で「岩下左内やあい」と呼ぶのである。
 喜平次と伊太郎は気味が悪くなって来た。世間で噂する通り、その声が普通の人間とは違っているばかりか、近いような、遠いような、悲しんで泣くような、嘲《あざけ》って笑うような、判断に苦しむ此の声の主は何物であろう。もし人間ならば足音がきこえる筈であるのに、それが或いは前に、あるいは右に、音も無しに移動するのも不思議である。そう思うと、二人は何となく怯気《おじけ》が付いて、足の進みもおのずと鈍《にぶ》って来たが、左内は頓着なしにその声を追って行った。怪しい声は嘲るように斯《こ》う云った。
「貴様たちに正体を見とどけられるような俺だと思うか。おれはここらに年|経《ふ》る白狐《びゃっこ》だぞ」
「畜生、よく名乗った。この古狐め」
 左内は刀をぬいてまっしぐらに追ってゆくと、声はそれっきりで絶えた。左内の足音もやがて聞えなくなった。師匠を見失っては申し訳がないと、喜平次と伊太郎はふたたび勇気を振い起して、つづいて其のあとを追って行ったが、左内の姿は闇に埋められてしまった。二人は先生先生と呼びつづけながら、木立のあいだは勿論、草原や畑道をむやみに駈けまわったが、どこからも左内の返事は聞かれなかった。当処《あてど》も無しに駈けつづけて、二人は疲れ果てた。
「もう仕方が無い。道場へ帰って提灯を持って来て、手分けをして探そう」
 よんどころなく引っ返して来る途中、あたかも吉祥寺門前で迎えの人々に出逢ったのである。その報告を聞いて、人々は俄かに騒ぎ立った。提灯ひとつでは不足だというので、家の近い者は引っ返して自分の家から提灯を持って来た。その一人は道場へも知らせに行ったので、残っている者もみんな駈け出した。喜平次と伊太郎を案内者にして、都合十七、八人が五つ六つの提灯を振り照らしながら、ふた組に分かれて捜索にむかった。
 江戸の絵図を見ても判るが、ここらの百姓地はなかなか広い、しかも人家は少ない。その大部分は田畑と森と草原である。二組の捜索隊は先生を呼びながら、闇の夜道をたずねて歩いているうちに、伊太郎を先立ちのひと組が路ばたに倒れている師匠の死骸を発見した。そこには一本の大きい榛《はん》の木が立っていて、その下を細い田川が流れている。左内はその身に数カ所の傷を受けて、木の根を枕に倒れていたのである。
 それから五日の後である。この頃は朝夕が肌寒くなって、きょうも秋時雨《あきしぐれ》と云いそうな薄|陰《ぐも》りの日の八ツ半(午後三時)頃に、ふたりの男が富士裏の田圃路をさまよっていた。半七とその子分の亀吉である。
「ねえ、親分。わっしにゃあまだ判らねえ。後生《ごしょう》だから焦《じ》らさずに教せえておくんなせえ。その変な声というのがどうして聞えるのか、いくら考えても見当が付かねえ」と、亀吉はあるきながら云った。
「神田から駒込まで登って来るあいだに、まだ考え付かねえのか」と、半七は笑った。「おれにゃあちゃんと判っている。それはズウフラだ」
「ズウフラ……。ああ、判った、判った」と、亀吉も笑い出した。「和蘭《オランダ》渡りで遠くの人を呼ぶ道具……。吹矢《ふきや》の筒のようなもの……。成程それに違げえねえ。わっしも一度見たことがある」
「おれも或る屋敷でたった一度見せて貰っただけだが、今度の一件を聞いてすぐにそれだろうと鑑定した。だが、判らねえのは、なぜ其のズウフラで往来の人間を嚇《おど》かすのか。唯のいたずらか、それとも何か仔細があるのか。なにしろ、そのズウフラから剣術の師匠が殺されたというのだから、ひと詮議しなけりゃあならねえ。早く聞き込むと好かったのだが、ちっと日数《ひかず》が経っているので面倒だ。まあ、やれるだけやってみよう。ここらは寺門前が多いから、町方《まちかた》の手が届かねえ。それをいいことにして、悪い奴らが巣を食っているのだろう」
 そこらをひと廻りした後、半七はある植木屋の門口《かどぐち》に立った。ここらに植木屋の多いのは前に云った通りである。半七は形ばかりの木戸をあけて声をかけた。
「おい。じいさんはいるかえ」
「やあ、親分……。唯今まいります」
 柿の木の上で返事をして、五十四五の男が笊《ざる》をかかえながら降りて来た。彼は植木屋の嘉兵衛である。
「柿はよく生《な》ったね」と、半七は赤いこずえを見あげた。
「いえ、もう遅いので……。ことしは二百十日の風雨《あらし》で散々にやられてしまいました」
 嘉兵衛は先に立って二人を内へ案内すると、女房は煙草盆などを持ち出して来たので、半七らは縁に腰をかけて煙草を吸いはじめた。
「どうだね。この頃はここらで変な声が聞えるというじゃあねえか。狐か狸のいたずらだろう」と、半七は何げなく云った。
「そうですよ」と、嘉兵衛はうなずいた。「なんでもここらに棲んでいる古狐の仕業《しわざ》だそうです」
「ここらに悪い狐が棲んでいるのかえ」
「今までそんな噂を聞いたこともありませんが、このあいだの晩、自分から名乗ったそうで……。おれはここらに年経る狐だとか云ったそうで、それは確かに聞いた人が二人もあるのですから、まあ本当でしょう」
 その二人は池田の次男喜平次と、岡崎屋という酒屋のせがれ伊太郎であると、嘉兵衛は説明した。
「だが、狐が人を斬り殺す筈はあるめえ、狐ならば喰い殺すだろう」と、亀吉はあざけるように云った。「世間にゃあいろいろの狐や狸がいるからな」
「まあ、余計なことを云うなよ」と、半七はたしなめるように云った。「そこで、爺さん、その池田の次男と岡崎屋の伜というのは、どんな男だか知らねえかえ」
 それに就いて、嘉兵衛はこう答えた。池田の屋敷は小石川|原町《はらまち》にあって、二百五十石の小普請組《こぶしんぐみ》である。自分はその隣り屋敷へ出入りしているが、池田の屋敷は当主のほかに大勢の厄介《やっかい》があって、その内証はよほど逼迫《ひっぱく》しているらしい。次男の喜平次という人を一度も見たことは無いが、二十四五になるまで他家へ養子にも行かないで、実家の厄介になって剣術を修業しているという噂である。岡崎屋のせがれ伊太郎もやはり喜平次と同年配で、父の伊右衛門は五、六年前に世を去って、母のお国が残っている。伊太郎にはおそよという嫁があったが、ことしの三月に離縁になって実家へ帰った。岡崎屋は小石川の白山前町《はくさんまえまち》にある。嫁のおそよの実家もやはり酒屋で、小石川|指《さす》ヶ谷町《やちょう》にある。双方が同商売で、しかも近所であるために、互いに得意先を奪い合ったのが喧嘩の基で、おそよは遂に不縁になったらしいという。その余のことは嘉兵衛も詳しく知らなかった。
「いや、有難う。それで大抵は判った」と、半七はうなずいた。「爺さん。おめえはその声を聞いたことがあるかえ」
「ありませんよ。話のたねに一度聞いて置きたいと思うのですが、運が無いのか、まだ聞いたことがありませんよ」
「聞いたところで、運がいいと云うわけでもあるめえ」と、半七は笑った。「そこで、その声はまだ聞えるのかえ」
「道場の先生が殺された晩から、ぱったり聞えなくなりましたが、ゆうべは又きこえたという噂です。いや、噂どころじゃあない、現に怪我をしたという者があるのです」
「怪我をした者……。そりゃあ誰だね」と、亀吉は顔を突き出した。
「わたくしと同商売で、吉祥寺裏に六蔵というのがあります。そこの若い者の長助という奴が、ゆうべ血だらけになって帰って来たので、大かた喧嘩でもしたのだろうと思って、だんだんに訊きただしてみると、やっぱり何かにやられたので……。なんでも暗い道を通って来ると、うしろから哀れな声で呼ぶ奴がある。こいつ、例の一件だなと思ったので、こっちも若い勢いで誰だ誰だと云いながら、声のする方へむやみに向って行くと、いきなり真向《まっこう》をなぐられたので、額《ひたい》ぎわの左から顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》へかけて随分ひどく打ち割られて、顔じゅうが血だらけになってしまったのです。長助も一旦眼が眩《くら》んで、そばにある立ち木に寄りかかったまま暫くは夢のようだったが、やがて漸く正気になって、どうにか無事に親方の家《うち》まで帰って来たのだそうです。道場の先生の殺されたのは別として、これなんぞはどうも狐の悪戯《いたずら》らしく思われますね。長助の傷は石か何かで打たれたらしいということです」
 剣術の師匠は殺され、植木屋の職人はなぐられ、とかくに気味の悪いことが続くので困ると、嘉兵衛は顔をしかめて話した。

     三

 植木屋を出ると、空はいよいよ陰って来た。
「親分、これからどっちへ廻ります」と、亀吉は空を仰ぎながら訊《き》いた。
「おめえは吉祥寺裏の植木屋へ行って、長助という若い奴に逢って、ゆうべ確かにその声を聞いたかどうだか突き留めて来てくれ。如才《じょさい》もあるめえが、本当になぐられたのか、出たらめの事を云うのか、よく念を押して訊きただしてくれ」と、半七は云った。
「あい、ようがす」
「おれは白山前から指ヶ谷町へまわって来る」
「どこで逢いますね」
「白山町に笹屋という小料理屋がある。そこで待ち合わせることにしよう」
 吉祥寺門前で亀吉に別れて、半七は土物店《つちぶつだな》から鰻縄手にさしかかった。岩下の道場の前を通りながら、門内をそっと覗いてみると、町道場といっても表には遠い家作りで、ここらに多く見る杉の生垣《いけがき》のうちに小さい畑などもあるらしかった。師匠が死んで稽古は無いはずであるのに、家内は何かごたごたしていた。半七は指を折って、あしたは初七日《しょなのか》、今夜はその逮夜《たいや》であることを知った。
 それから五、六間ゆき過ぎると、若い町人ふうの男が半七に摺れちがって通った。振り返って見送ると、男は道場の門をあけてはいった。半七の眼に映った若い男は、年のころ二十三四で、色の小白い、忌味《いやみ》のない男振りであった。それが岡崎屋の伊太郎ではないかと思ったが、呼びかえして詮議する場合でないと思い直し、半七はそのまま白山前町へ足を向けた。
 岡崎屋は相当の店がまえで、店には三人の若い者と二人の小僧が何か忙がしそうに働いていた。八丁味噌の古い看板なども見えた。帳場には四十四五の女房が坐っていた。それが伊太郎の母のお国であろうと、半七は想像した。さらに引っ返して指ヶ谷町へゆくと、そこには伊丹屋という酒屋の暖簾《のれん》が眼についた。ここが伊太郎の嫁の実家である。半七はずっと店へはいった。
「もし、お前さんは旦那ですかえ、番頭さんですかえ」と、半七は帳場にいる四十前後の男に声をかけた。
「はい。わたしは番頭でございます」と、男は帳面の筆をおいて答えた。
「旦那はお内ですかえ」
「いえ、こちらは女あるじで……」
「じゃあ、岡崎屋と同じことだね」
「左様で……」と、番頭はやや不審らしく半七の顔をみつめた。
「息子さんは無いのかね」
「息子はございますが、まだ肩揚げが取れませんので……」
「娘さんは幾人《いくたり》いるね」
「二人でございます」
「いや、こりゃあわたしが悪かった」と、半七は笑いながら云った。「だしぬけに押し掛けて来て、よその家の人別《にんべつ》を調べるから、お前さんにも変な顔をされるのだ。実はわたしはお上の御用を聞く者で、すこし調べる筋があって来たのだから、迷惑でもおかみさんに逢わしておくんなせえ」
 御用聞きと名乗られて、番頭も俄かに態度をあらためた。すぐに立って奥へ行ったが、やがて又出て来て、丁寧に半七を案内した。中庭にむかった八畳の座敷で、先代の主人の好みであろう、床の間や違い棚の造作もなかなか念入りに出来てい
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