二組の捜索隊は先生を呼びながら、闇の夜道をたずねて歩いているうちに、伊太郎を先立ちのひと組が路ばたに倒れている師匠の死骸を発見した。そこには一本の大きい榛《はん》の木が立っていて、その下を細い田川が流れている。左内はその身に数カ所の傷を受けて、木の根を枕に倒れていたのである。
それから五日の後である。この頃は朝夕が肌寒くなって、きょうも秋時雨《あきしぐれ》と云いそうな薄|陰《ぐも》りの日の八ツ半(午後三時)頃に、ふたりの男が富士裏の田圃路をさまよっていた。半七とその子分の亀吉である。
「ねえ、親分。わっしにゃあまだ判らねえ。後生《ごしょう》だから焦《じ》らさずに教せえておくんなせえ。その変な声というのがどうして聞えるのか、いくら考えても見当が付かねえ」と、亀吉はあるきながら云った。
「神田から駒込まで登って来るあいだに、まだ考え付かねえのか」と、半七は笑った。「おれにゃあちゃんと判っている。それはズウフラだ」
「ズウフラ……。ああ、判った、判った」と、亀吉も笑い出した。「和蘭《オランダ》渡りで遠くの人を呼ぶ道具……。吹矢《ふきや》の筒のようなもの……。成程それに違げえねえ。わっしも一度見たことがある」
「おれも或る屋敷でたった一度見せて貰っただけだが、今度の一件を聞いてすぐにそれだろうと鑑定した。だが、判らねえのは、なぜ其のズウフラで往来の人間を嚇《おど》かすのか。唯のいたずらか、それとも何か仔細があるのか。なにしろ、そのズウフラから剣術の師匠が殺されたというのだから、ひと詮議しなけりゃあならねえ。早く聞き込むと好かったのだが、ちっと日数《ひかず》が経っているので面倒だ。まあ、やれるだけやってみよう。ここらは寺門前が多いから、町方《まちかた》の手が届かねえ。それをいいことにして、悪い奴らが巣を食っているのだろう」
そこらをひと廻りした後、半七はある植木屋の門口《かどぐち》に立った。ここらに植木屋の多いのは前に云った通りである。半七は形ばかりの木戸をあけて声をかけた。
「おい。じいさんはいるかえ」
「やあ、親分……。唯今まいります」
柿の木の上で返事をして、五十四五の男が笊《ざる》をかかえながら降りて来た。彼は植木屋の嘉兵衛である。
「柿はよく生《な》ったね」と、半七は赤いこずえを見あげた。
「いえ、もう遅いので……。ことしは二百十日の風雨《あらし》で散々にやられてしまいました」
嘉兵衛は先に立って二人を内へ案内すると、女房は煙草盆などを持ち出して来たので、半七らは縁に腰をかけて煙草を吸いはじめた。
「どうだね。この頃はここらで変な声が聞えるというじゃあねえか。狐か狸のいたずらだろう」と、半七は何げなく云った。
「そうですよ」と、嘉兵衛はうなずいた。「なんでもここらに棲んでいる古狐の仕業《しわざ》だそうです」
「ここらに悪い狐が棲んでいるのかえ」
「今までそんな噂を聞いたこともありませんが、このあいだの晩、自分から名乗ったそうで……。おれはここらに年経る狐だとか云ったそうで、それは確かに聞いた人が二人もあるのですから、まあ本当でしょう」
その二人は池田の次男喜平次と、岡崎屋という酒屋のせがれ伊太郎であると、嘉兵衛は説明した。
「だが、狐が人を斬り殺す筈はあるめえ、狐ならば喰い殺すだろう」と、亀吉はあざけるように云った。「世間にゃあいろいろの狐や狸がいるからな」
「まあ、余計なことを云うなよ」と、半七はたしなめるように云った。「そこで、爺さん、その池田の次男と岡崎屋の伜というのは、どんな男だか知らねえかえ」
それに就いて、嘉兵衛はこう答えた。池田の屋敷は小石川|原町《はらまち》にあって、二百五十石の小普請組《こぶしんぐみ》である。自分はその隣り屋敷へ出入りしているが、池田の屋敷は当主のほかに大勢の厄介《やっかい》があって、その内証はよほど逼迫《ひっぱく》しているらしい。次男の喜平次という人を一度も見たことは無いが、二十四五になるまで他家へ養子にも行かないで、実家の厄介になって剣術を修業しているという噂である。岡崎屋のせがれ伊太郎もやはり喜平次と同年配で、父の伊右衛門は五、六年前に世を去って、母のお国が残っている。伊太郎にはおそよという嫁があったが、ことしの三月に離縁になって実家へ帰った。岡崎屋は小石川の白山前町《はくさんまえまち》にある。嫁のおそよの実家もやはり酒屋で、小石川|指《さす》ヶ谷町《やちょう》にある。双方が同商売で、しかも近所であるために、互いに得意先を奪い合ったのが喧嘩の基で、おそよは遂に不縁になったらしいという。その余のことは嘉兵衛も詳しく知らなかった。
「いや、有難う。それで大抵は判った」と、半七はうなずいた。「爺さん。おめえはその声を聞いたことがあるかえ」
「ありませんよ。話のたねに一度聞いて置きた
前へ
次へ
全10ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング