です。なにしろ長さは三尺あまりで、銅でこしらえた喇叭《らっぱ》のような物ですから、それで手ひどく殴られては堪まらない。馬鹿とあなどって不意討ちを食った長助は、まったく眼が眩《くら》んで暫くぼんやりしているうちに、辰公は逃げて行ってしまった。と云って、表向きに辰公の家へ捻じ込むわけにも行かないので、長助はなぐられ損の泣き寝入り……。そこへ亀吉が調べに行ったので、長助はいよいよ閉口して、なにか出たらめを云って誤魔化していたというわけです。それがみんな露顕して、長助は所払いになりました。
 そこで、一方の辰公、いかに薄馬鹿の人間でも、見す見す闇討ちの一件を知っていながら、口を結んでいるということは、さすがに気が咎めてならない。そこで逮夜の晩、岩下の道場に大勢が集まっているのを知って、隣りの屋根からズウフラで呼びかけた。悪戯《いたずら》といえば悪戯ですが、本人としては御新造にそれとなく注意をあたえようとしたので、馬鹿相当の知恵を出したわけでしょう。勿論、岩下の女房と岡崎屋の伜との関係なぞは知らないんです。しかし馬鹿も馬鹿にはなりません。辰公が屋根から転げ落ちて、わたくし共に取り押えられた為に、それから口が明いて闇討ちの秘密もはっきりと判る事になったんです」
「喜平次も伊太郎もお常も、みんな挙げられたんですね」
「岡崎屋は白山前町にあるので、寺社の方へもことわって伊太郎を召し捕りました。お常も召し捕られました。お常は伊太郎との不義を白状しただけで、闇討ちのことは知らないと強情を張っていましたが、相手の伊太郎がべらべらしゃべってしまったので、どちらも引き廻しの上で磔刑《はりつけ》という重い仕置を受けました。喜平次はゆくえが知れません。何でもこの一件が親兄弟にも知れたので、表沙汰にならない先に、屋敷内で詰腹《つめばら》を切らされたという噂です。気の毒なのは通辞役の深沢さんという人で、ズウフラを質入れした事が露顕して、別に表向きの咎めはありませんでしたが、世間に対して頗る面目を失ったということです。辰公の親たちは不取締りのために質物を馬鹿息子に持ち出され、それからこんな騒動をひき起したというので、きびしいお咎めを受けました。馬鹿息子が質物を持ち出して毎晩あるき廻っているのを、親たちも店の者も気がつかなかったというのは、あんまり迂濶な話ですから、どんなお咎めを蒙っても仕方がありません
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