。まあ、見たところ、困る人じゃあ無さそうでしたね」
「困る筈はねえ。金の棒をかかえている位だ」と、幸次郎は笑った。「まあ、その晩のことを親分にひと通り話してくれ」

     二

「一体、その女は自分で飛び込んだのか、粗相で落ちたのか、誰かに突き落されたのか、おめえに心当りはねえのかね」と、半七は訊《き》いた。
「それはきのうも検視のお役人から御詮議がありましたが、まったく何も心当りが無いのです。わたくしは唯、ざぶんという水の音を聞いただけで、すぐに提灯を持って出ましたが、男か女か判らないので……」
 久八は少し曖昧に答えた。身投げを見付けたらば直ぐに救うのが橋番の役であるが、今や欄干に手をかけた者を留めることはあっても、すでに飛び込んでしまった者を救い揚げることは滅多《めった》に無い。久八も水音におどろかされて一旦は出て行ったものの、もう遅いと諦めて、いい加減に引っ返したらしいのである。しかもそれが女であると判って、彼もいささか気が咎めないでも無かった。その時代の習慣として、男を見殺しにしたよりも、女や子供の弱い者を見殺しにしたということが、余計に不人情と認められたからである。
 
前へ 次へ
全46ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング