込んで、夜のふけるのを待っていたが、やがて四ツ(午後十時)に近い頃までも彼らを驚かすような化け物は出なかった。松吉は少し待ちくたびれたようにささやいた。
「親分。化け物はまだ来ねえかね」
「秋の夜は長《な》げえ。化け物の来るのは丑満《うしみつ》と決まっていらあ」
「まったく秋の夜は長げえ。ここらで一服吸ってもいいかね」
「いけねえ。燧石《ひうち》の火は禁物《きんもつ》だ」
「いやに暗い晩だね」
「暗いから火は禁物だというのだ」
 その暗い夜を照らすような稲妻《いなづま》が、軒さきを掠《かす》めて弱く光った。稲妻は秋の癖である。それは不思議でもなかったが、別に半七らをおどろかしたのは、二人が控えている本堂の庭さきに一人の女がたたずんでいる事であった。女は縁に近寄って、首をのばして内を窺っているらしく、稲妻に照らされた顔は蒼白く見られた。
 いつの間に忍んで来たのか知らないが、自分らの眼のさきに怪しい女の顔がだしぬけに浮き出したので、二人とも思わずぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とする間《ひま》もなく、稲妻は消えて元の闇となった。化け物はいよいよ現われたのである。半七はすぐに起って、暗い庭さき
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