裟などの宗具のほかには、何物も所持していなかった。懐剣や紙入れのたぐいも身に着けていなかった。したがって、彼らがまことの虚無僧であるか、偽虚無僧であるか、それすらも判然《はっきり》しなかった。一人は四十前後で、左の肩のはずれに小さい疵の痕があった。他の一人は二十七八歳で、色の白い、人品のよい男であった。その面《おも》ざしの何処やら似ているのを見ると、あるいは兄弟か叔父甥などでは無いかという説もあったが、これとても一部の人々の想像に過ぎなかった。
更に不思議というべきは、この四人の死骸に一カ所の疵の痕も見いだされないことであった。縊《くび》られたような形跡もなかった。さりとて水を嚥《の》んでいるようにも見えなかった。他人が殺して古井戸に投げ込んだのか、何かの仔細で四人が同時に身を投げて自殺したのか、それは誰にも容易に解けない謎であった。
「なにか騒々しいことが出来《しゅったい》したそうで……。御迷惑でございましょう」
神田三河町の半七が子分の松吉をつれて、押上村の甚右衛門の店さきに立った。甚右衛門はその昔、御法度《ごはっと》の賽ころを掴んで二十人あまりの若い者を頤《あご》で追い廻していた男であるが、取る年と共にすっかりと堅気《かたぎ》になって、女房の名前で営んでいた緑屋という小料理屋を本業に、まず不自由もなく暮らしているのであった。
白髪頭《しらがあたま》の甚右衛門は帳場から顔を出して、笑いながら挨拶した。
「やあ、三河町、めずらしいな。まあ、あがんなせえ。松さんも一緒だね。御苦労、御苦労。おまえさん達が繋がって来た筋は大抵わかっている。まったく騒々しくって、どうもいけねえ」
そのうちに愛想《あいそ》のいい女房も出て来て、二人は二階の小座敷へ案内された。
「どうです、相変らず御繁昌のようですね」と、半七も笑いながら訊《き》いた。
「お蔭でどうにか店を張っているが、なにしろ御停止《ごちょうじ》の五十日が明けねえうちは、まあ商売休みも同然だ。そこで、早速だが、おまえさん達は竜濤寺の一件で出張って来なすったんだろうが、あいつはちっと難物だね」と、甚右衛門は顔をしかめた。
「わたし達の縄張りの内の仕事じゃあありませんが、なにしろ事件が大きいから、ひと通りは調べて来いと、御寺社の方から声がかかったものですから、何がなんだか夢中で飛び出して来ました。いずれ名主さんのところへ顔出しをする積りですが、それよりもまあ緑屋さんへ早く挨拶に行って、なにかの指図を受けた方がよかろうというので、取りあえずお邪魔に来たようなわけで……」
まだ何か云おうとする半七を、甚右衛門は大きい手をあげて制した。
「いけねえ、いけねえ。相変わらず如才《じょさい》ねえことを云って、ひとを煽《おだ》てちゃあいけねえ。堅気になってもう十年、めっきり老い込んでしまった甚右衛門が、売り出しのお前さん達に何の指図が出来るもんか。だが、よく尋ねて来てくんなすった。まあ、ゆっくりおしなせえ。一|杯《ぺえ》やりながら何かの相談をしようじゃあねえか」
今は堅気になっていても押上の甚右衛門、ここらでは相当に顔の売れている男である。その顔を立てて真っ先に尋ねて来た半七に対して、彼も大いに厚意を示さなければならなかった。江戸のお客の口には合うまいがと云い訳をしながら、彼は女房や女中たちに指図して、すぐに酒肴を運び出させた。
「竜濤寺の一件は大抵知っていなさるだろうね」と、甚右衛門は猪口《ちょこ》をさしながら訊《き》いた。
「よく知りません。なんでも出家が二人、虚無僧が二人、古井戸のなかで死んでいたそうで……」と、半七は答えた。
「そうだ、そうだ」と、甚右衛門はうなずいた。「詰まりはそれだけのことで、ほかにはなんにも手がかりはねえ。からだに疵のねえのを見ると、自分たちで身を投げたようにも思われるが、坊主と虚無僧の心中でもあるめえ。ここらじゃあ専《もっぱ》ら仇討という噂を立てているが、それもどうだかな」
「かたき討……」
「相手が虚無僧だけに、芝居や講釈から割り出して、かたき討なぞという噂も出るのだ。仇ふたりが出家に姿をかえて、あの古寺に忍んでいるところへ、虚無僧ふたりが尋ねて来て、親か兄弟のかたき討、いざ尋常に勝負勝負の果てが、双方相討ちになったのだろうというのだが……。それにしても、四人の死骸がどうして井戸から出て来たのか、その理窟が呑み込めねえ、第一、どの死骸にも疵のねえのが不思議だ」
「その寺には金《かね》でもありますかえ」
「ここらでも名代《なだい》の貧乏寺さ。いくら近眼《ちかめ》の泥坊だって、あの寺へ物取りにはいるような間抜けはあるめえ。万一物取りにはいったにしても、坊主も虚無僧もみんな屈竟《くっきょう》の男揃いだ。たとい寝込みを狙われたにしても、揃いも揃ってぶち殺されて、片
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