殺されたんですか」
「可哀そうに殺されました」
「一体その女たちは何者です」と、わたしは訊《き》いた。
「ひとりはおまんという女で、若いように見えても二十六でした。もう一人は例のお鎌という女で、こいつは年に似合わない頑丈な婆さんでした」と、老人は説明した。「そこで、あなたも大抵お察しでしょうが、竜濤寺という古寺は悪い奴らの隠れ家で……。芝居や草双紙にもよくありますが、とかく古寺なんていうものは、山賊なんぞの棲家《すみか》になるもので、この寺も暫く無住のあき寺になっているうちに、悪い奴らが巣を作ってしまったんです。しかしいつまでも空寺にして置くと、何時《いつ》ほかの住僧がはいり込まないとも限らないから、いっそ自分たちが占領してしまう方がいいというので、全達と全真、この二人が住職と納所に化けて住み込むことになったんです。どっちも田舎の坊主あがりで、お経の読み方や木魚の叩き方ぐらいは知っていたそうですが、なにしろ二人とも喰わせ者で、世間を誤魔化すために殊勝らしく鉦《かね》なんぞをちんちん鳴らして、近所を托鉢に歩いていたというわけです」
「じゃあ、虚無僧ふたりも偽物ですね」
「勿論これも偽虚無僧、芝居ならば忠臣蔵の本蔵とか毛谷《けや》村のお園《その》とかいう所です。御承知でもありましょうが、坊主や虚無僧は寺社奉行の支配で、町方《まちかた》では迂濶に手を着けることが出来ないのですから、そこを見込んで思い思いに化けたんでしょう。こいつらは徒党を組んで、大きい町人や旗本屋敷をあらし廻って、相当に纏まった仕事をしていたらしいんです。この一件の一と月ほど前に東両国の質屋へ押込みにはいった二人組がありましたが、その晩は蒸し暑いので、ひとりの奴が覆面を取って顔の汗を拭くと、それが坊主頭であったので、店の者は又おどろいたということです。私はその話を聞いて、この頃ここらに坊主あたまの悪い奴らが立ち廻っていることを知っていたので、竜濤寺の坊主共も或いはそんな仲間じゃあないかと、まず第一に思い付いたんです。
そこで、古井戸の死骸ですが、出家二人と虚無僧二人が、一度に身投げをするのもおかしい。おまけに、その死骸が水を嚥《の》んでいなかったと云いますから、身投げでは無いように思われます。しかし他人が殺して投げ込んだのならば、からだに何かの疵あとが残っていなければならない。たとい毒殺にしても、やっぱり何かの痕が残って、検視の役人たちにも知れる筈です。他人が殺して、なんにも跡方が残らないのは、睡り薬のほかは無いということを、私はかねて医者から聞いていました。睡り薬というのはモルヒネです。今日ではどうだか知りませんが、江戸時代の検視では睡り薬で死んだのを鑑定することは出来なかったようです。しかしその睡り薬というものが其の時代には容易に手に入らない。かの四人は、何者にか睡り薬を飲まされて、古井戸へ投げ込まれたのじゃあ無いかと、私も最初から疑っていたんですが、さてその薬の出所がわからない。そのうちに、元八の口からこんなことを聞きました。さっきもお話し申した通り、納所坊主が諏訪の祭りの噂をしたというんです。それが信州の諏訪でなく、長崎の諏訪らしいので、私は気が付きました。さてはこいつらの仲間のうちに、長崎に関係のある奴がまじっている。長崎ならば、異国の商船が絶えず出入りをしている土地ですから、モルヒネの睡り薬を手に入れることが出来る。そこで、緑屋の爺さんに訊いてみると、荒物屋のお鎌は九州の生まれだというので、いよいよ長崎に縁のあることが判りました」
「そこで、そのお鎌というのはどういう人間なんですか」と、私もいよいよ興味をそそられて訊いた。
「お鎌は果たして長崎の人間でした。死んだ亭主の名は徳之助と云って、二十年ほども前から夫婦連れで国を出て、何かの縁を頼って、初めは江戸の品川に草鞋《わらじ》をぬぎ、それから山の手辺を流れ渡って最後にこの押上村におちついて、十五六年も無事に暮らしていたんです。生まれ故郷を遠く離れて、なぜ江戸三界へ出て来たのか、それはよく判らないんですが、なにか良くない事をして、江戸へ逃げて来たんだろうと思われます。こう云えば、まず大抵は想像が付くでしょうが、長崎の祭りを恋しがった全真という納所は、お鎌の夫婦に由縁《ゆかり》のある者で、実はお鎌の甥にあたるんです。全真は子どもの時から長崎在の小さい寺へ小僧にやられていたんですが、これも何かのしくじりがあったんでしょう、五、六年前から国を飛び出して、叔母のお鎌をたずねて来る途中、東海道の三島の宿から全達と道連れになって、一緒に江戸へ出て来たんです。その道中のことはよく判りませんが、江戸へ着いた頃には二人とも、もう相当の悪者になっていたようです。この二人が竜濤寺の空寺に巣を作るようになったのも、お鎌に教えられ
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