お鎌から一歩の金を貰っただけで、ほかには何の係り合いも無いと弁解した。
「おめえは其の後にお鎌に逢ったか」と、半七は又|訊《き》いた。
「ここの井戸から四人の死骸が揚がったという評判を聞いて、わたしもすぐに駈け着けてみると、お鎌も来ていました。なにしろ最初に死骸を見付けた本人ですから、名主さん達からいろいろのことを訊かれていましたが、わたしは何だか気が咎めるので、なるたけ後の方へ引きさがって、遠くから覗いていました。その時ぎりでお鎌に逢ったことはありません」
「死骸を見つけたのは、十五夜から四日目だというじゃあねえか。そのあいだに、一度もお鎌に逢わなかったのか」
「逢いませんでした」
この時、庭口から松吉が大急ぎで帰って来た。八月の秋の日はまだ暑いので、彼は襟もとの汗をふきながら云った。
「親分、お鎌はいませんよ」
「家《うち》にいねえのか」
「荒物屋の店は空明《がらあ》きで、何処へ出て行ったのか近所の者も知らねえと云うのです。なにしろ、こっちの方も気になるので、案内の男だけを見張りに残して置いて、わっしは一旦引っ返して来たのですが、どうしましょう」
「どうにも仕方があるめえ」と、半七は舌打ちした。「下司《げす》の知恵はあとから出る。こうと知ったら早くあの婆を引き挙げればよかった。そこで、頼んだ物を持って来たか」
「店へはいって探してみたら、毎日の売り揚げを付けて置く小さい帳面がありました。これじゃあ役に立ちませんか」と、松吉はふところから藁半紙の帳面を出してみせた。
「むむ。なんでもいい」
半七はその帳面を受け取って、かの結び文の「十五や御ようじん」と引き合わせると、松吉も縁へ這いあがって覗き込んだ。
「成程、似ているようですね」
「似ているじゃねえ。確かに同筆だ。この寺へはいろいろの奴らが寄り集まって来て、その置手紙を木魚の口へ投げ込んで置いて、なにかの打ち合わせをすることになっているらしい、そこまでは先ず判ったが、さてこの十五夜御用心……。誰に用心しろと云うのかな」
云いかけて、又なにか思い出したように、半七は向き直った。
「おい、元八。おめえはその芭蕉のかげで立ち聴きをしていて、なんにも話し声は聞えなかったか」
「声が低いので、よく聴き取れませんでした。ただ一度、全真という納所坊主がこの縁側から月をながめて、ああいい月だ、諏訪《すわ》神社の祭礼《まつり》ももう直ぐだなと云うと、住職の全達が笑いながら、諏訪の祭りが見たければ直ぐ出て行け、十月までには間に合うだろうと云って、みんなが大きい声で笑っていました」
「諏訪の祭り……信州かな」と、松吉は口を出した。
「いや、信州の諏訪は十月じゃあるめえ」と、半七は打ち消した。「十月の祭りならば、長崎の諏訪だろう。九州一の祭りで、たいそう立派だそうだ。そんな話を誰かに聞いたことがあるようだ。むむ、長崎か……長崎か……」
長崎を口のうちで繰り返した後に、半七は証拠の結び文と売揚げ帳をふところへ押し込んだ。
「いつまでここに罠《わな》をかけていても、化け猫や狐が安々と掛かって来そうもねえ。ともかくも一旦引き揚げて緑屋へ行くとしよう」
「荒物屋の方はどうしますね」と、松吉は訊《き》いた。
「あの男にばかり任かしちゃあ置かれねえ。おめえも行って気長に張り込んでいろ。俺もいずれ後から行く。元八はいつまた呼ぶかも知れねえから、家《うち》へ帰っておとなしくしていろよ。決して外へ出ちゃならねえぞ」
元八は幾たびか頭を下げて、逃げるように出て行った。半七も松吉もつづいて出た。
「あの野郎はどうでした。妙におこ[#「おこ」に傍点]付いているじゃありませんか」と、松吉は小声で云った。
「道楽者と云ったところで、安い野郎だ。あいつ案外の正直者だから、なにかの囮《おとり》になるかも知れねえ。まあ、当分は放し飼いだ」
途中で松吉に別れて、半七は再び緑屋の門《かど》に立った。
「又お邪魔に出ました。日の暮れるまで往来に突っ立ってもいられねえから、軒下を借りに来ました。どうぞ構わねえで置いて下さい」
勿論それはひと通りの挨拶で、緑屋でも構わずに捨てて置く筈はなかった。半七は愛想よく迎えられて再び二階の小座敷へ通されると、甚右衛門もあとから上がって来た。
「どうだね。お前さんの眼利きは……。たいてい見当は付いたかね」
「おさき真っ暗で眼も鼻も利きません」と、半七は笑った。「なにしろ日が暮れてから、もう一度出直して見たいと思います」
「じゃあ、ゆっくり休んで行きなせえ。古寺へ化け物の詮議に行くのは、やっぱり夜の仕事だろうな」と、甚右衛門も笑った。「そこで、どうだね。元八の奴を呼びにやろうか」
「元八は来ましたよ」
「寺へか。お前さん達のあとを尾けて……。はは、馬鹿野郎め、定めし嚇かされたろうな」
「嚇か
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