きい百日紅《さるすべり》の下にある石の井筒には、一面に湿《しめ》っぽい苔がむしていた。今度の騒ぎで荒らされたと見えて、そこらの草はさんざんに踏み散らされていた。
 半七も松吉も井戸をのぞいた。日をさえぎる百日紅の影に掩われて、暗い古井戸の底は更に薄暗かった。井戸はなかなか大きいので、四人の死骸を沈めるのに仔細はないと思われた。友吉に案内させて、半七らは更に墓場を見まわると、そこらの大樹の下に二、三カ所、新らしく掘り返したような跡が見いだされた。半七は身をかがめて窺うと、本堂の縁の下にも同じような跡が見えた。
「むやみに掘りゃあがったな」
「そうですね」と、松吉も仔細らしく首をかしげていた。
 三人はそれから本堂にのぼると、狭いながらも正面には型のごとくに須弥壇《しゅみだん》が設けられて、ひと通りの仏具は整っていた。しかもそこらは埃《ほこり》だらけで、大きい鼠が人の足音におどろいて逃げ去った。
「仏さま、御免ください。少々お邪魔をいたします」
 こう云って、半七は仏前の香炉、花瓶、そのほかの仏具を一々|検《あらた》めたが、やがて小声で松吉に云った。
「おい。見ろ。埃だらけの仏具に新らしい指のあとが残っている。ゆうべか今朝あたり、ここらを掻きまわした奴があるに相違ねえ」
 半七はそこにある木魚《もくぎょ》を叩いてみた。
「この寺じゃあ木魚を叩きますかえ」と、彼は友吉に訊《き》いた。
 木魚を叩くか叩かないか、それはよく知らないと友吉は答えた。半七は再び木魚をたたいた。
「和尚の居間はどこだね」
「こっちですよ」
 友吉は先に立って行きかかると、半七もふた足三足ゆき掛けたが、また小戻りして松吉にささやいた。
「おい、松。その木魚には仕掛けがある。あっちへ行っている間《ひま》に調べて置け」
 無言でうなずく松吉をそこに残して、半七は友吉のあとを追ってゆくと、破れ襖は明け放されたままで、住職の居間という六畳敷のひと間が眼の前にあらわれた。半七は先ず押入れをあけると、内には寝道具と一つの古葛籠《ふるつづら》があった。葛籠には錠が卸してなかった。
「ちょいと手を借してくんねえ」
 友吉に手伝わさせて、半七は押入れから寝道具をひき出してみると、枕は坊主枕一つと木枕二つ、掛蒲団と敷蒲団も三、四人分を貯えてあるらしかった。大きい古蚊帳も引んまるめたように畳んであった。
 松吉はそっと来て声をかけた。
「親分……」
 なにかの発見をしたらしい眼色を覚って、半七は友吉を見かえった。
「おめえはちょっとの間、玄関の方へでも行って待っていてくれねえか。邪魔にするわけでもねえが、御用で調べ物をする時に、他人《ひと》が傍にいちゃあ困ることがある」
 友吉はおとなしく立ち去った。それを見送って、二人はもとの本堂へ引っ返すと、松吉はかの木魚を指さした。
「親分はさすがに眼が利いているね」
「眼が利いているのじゃあねえ、耳が利いているのだ。あの木魚の音がどうも唯でねえと思った。それで、どうした」
「この通り……」と、松吉は笑いながら木魚に手をかけてもたげると、木魚には底蓋《そこぶた》があった。
「なるほど。考えやがったな」と、半七も笑った。
 木魚の内が空になっているのは普通であるが、これは別に底蓋を作って、その上に被《かぶ》せるように仕掛けてあった。ただ見れば有り触れた木魚であるが、その口から何物かを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》し込めば、底蓋の上に落ちて自由に取り出すことが出来るようになっている。現に小さい結び文《ぶみ》が落ちていた。
 半七はその結び文をあけて見ると、女文字で「十五や御ようじん」と書いてあった。十五夜御用心――それは十五夜に於ける異変を予告するようにも見られた。
「なんの為にこんな仕掛けをして置いたのかな」と、松吉は木魚をながめた。「密書を投げ込む為かね」
「まあ、そうだろう。今も寝道具を調べたら、白粉や油の匂いがする。ここには女文字の文《ふみ》がある。なにしろ、この一件には女の詮議が肝腎だ。案内の男に云いつけて、まず荒物屋のお鎌という女を呼んでみよう。いや、あの男がぼんやりしていて、相手を逃がしてしまうと詰まらねえ。おめえも一緒に行って、女をここへ連れて来てくれ。おい、それからな……」と、半七は何事かをささやいた。
「あい、ようがす。だが、お前さん一人ぼっちでこんな所にいて……。なにが出て来るか判りませんぜ」
「はは、大丈夫だ。いくら古寺でも、まっ昼間から化け猫が出ても来ねえだろう。出てくるのは鼠か藪っ蚊か。まあ、そんなものだろうよ」
「ちげえねえ。じゃあ、行って来ます」
 松吉は縁さきから庭に降りて、表の玄関口へまわったかと思うと、やがて聞き慣れない男の声がきこえるので、半七は暫く耳を澄まし
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