お徳のうたがいは一層強くなった。この女は水から出て来たのではあるまいかと思うと、気の強い女房も俄かにぞっとしたのである。
「あの、奥の方で何か跳ねているのは、なんでございましょう」と、女は訊《き》いた。
「そんな音がきこえましたか」と、お徳は白らばっくれてこたえた。「雨だれの音じゃありませんかしら」
その苦しい云い訳を打ち消すように、台所の鯉はまた跳ねた。
「おかみさん、どうぞお隠しなさらないでください」と、女はいよいよ恨めしそうに云った。「唯今も申す通り、わたくしの枕もとに紫の鱗が落ちていました。奥で今跳ねているのは確かに魚でございます。魚の跳ねる音でございます。一生のおねがいでございますから、どうぞその魚を一度みせてください。その魚はきっとむらさきに相違ございません」
お徳ももう返事に困って、唯おどおどしていると、女の様子がだんだんと物凄く変って来た。
「ごめんください。ちょっと奥へ行って拝見してまいります」
女は起って奥へゆきかけるのを、お徳はさえぎる力もなかった。女の起ったあとを見ると、そこの畳の上は陰《くも》ったように湿《ぬ》れているので、かれは又ぞっ[#「ぞっ」に傍点
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