下で堰《せ》き止めてあったからです。なぜ堰き止めたかというと、むかしは御留川《おとめがわ》となっていて、ここでは殺生《せっしょう》禁断、網を入れることも釣りをすることもできないので、鯉のたぐいがたくさんに棲んでいる。その魚類を保護するために水をたくわえてあったのです。勿論、すっかり堰いてしまっては、上から落ちて来る水が両方の岸へ溢れ出しますから、堰《せき》は低く出来ていて、水はそれを越して神田川へ落ち込むようになっているが、なにしろあれだけの長い川が一旦ここで堰かれて落ちるのですから、水の音は夜も昼もはげしいので、あの辺を俗にどんどん[#「どんどん」に傍点]と云っていました。水の音がどんどん[#「どんどん」に傍点]と響くからどんどん[#「どんどん」に傍点]というので、江戸の絵図には船河原橋と書かずにどんど橋[#「どんど橋」に傍点]と書いてあるのもある位です。今でもそうですが、むかしは猶さら流れが急で、どんどん[#「どんどん」に傍点]のあたりを蚊帳《かや》ヶ淵《ふち》とも云いました。いつの頃か知りませんが、ある家の嫁さんが堤を降りて蚊帳を洗っていると、急流にその蚊帳を攫《さら》って行かれ
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