まいました」
「意気地のない奴だな」
「まったく意気地のない奴ですよ」
 勝次郎の寝がえりを余ほど忌々《いまいま》しく思っていたとみえて、喜平は彼をこきおろすように云った。
「その勝次郎はきょうも来ているかえ」と、半七は訊《き》いた。
「いいえ、来ていません。このごろは石町《こくちょう》の油屋へ仕事に行っているそうです」
「そうか。じゃあ、その利助という小僧を呼んで貰おう。ただ黙って連れて来てくれ」
「はい、はい」
 喜平は引っ返して行こうとして、にわかに声を尖《とが》らせた。
「やい、この野郎」
 その声におどろいて、半七も見かえると、喜平はうしろの材木のかげから一人の小僧をひきずり出して来た。それはかのいたずら小僧であることを半七もすぐ覚った。
「親分さん。こいつが利助です。やい、手前はさっきからそこに隠れていて、なにを立ち聴きしていやあがったんだ」と、喜平はかれの胸を小突きながら半七の前に突き出した。
「まあ、小さい者をそう叱るな。喜平どん、一緒にいちゃあ調べるのに都合がわるい。ちっとあっちへ行っていてくれ」
 まだ不安らしい眼をして睨んでいる喜平を追いやって、半七はしずかに云い出した。
「だが、利助。おまえはどうも評判がよくないようだぞ。子供だといっても、もう十六だ。物事の善い悪いはわかっている筈だのに、なぜあんな悪いことをした」
 だしぬけに睨みつけられて、利助は呆気《あっけ》にとられたように相手の顔を見あげていると、半七はたたみかけて云った。
「おれは三河町の半七だ。嘘をつくと縛ってしまうぞ。おまえは先月、あの喜平と大工の勝次郎とが清水山へ行く相談をしている時に、誰にたのまれて仕事場の材木を倒した」
 さすがのいたずら小僧も俄かに顔の色かえて、唖《おし》のように黙ってしまった。
「なぜ黙っている。なぜ返事をしねえ。さあ、誰にたのまれて丸太を倒した。大きい丸太が倒れて来て、人の脳天でもぶち割ったらどうする。貴様はまぎれなしの下手人《げしゅにん》だぞ。そんな悪い事をなぜしたのだ。なんぼ貴様がいたずらでも、自分ひとりの料簡でそんなことをしたのじゃあるめえ。だれに頼まれて、そんなことをした。その頼みを白状しろ」
 利助はうつむいたままで、やはり黙っていた。
「論より証拠、自分にうしろ暗いことがないのなら、なぜそんなところに隠れて立ち聴きをしていたのだ。いくら貴様が強情を張っても、おれはちゃんと知っているぞ」と、半七は笑った。「そんなに隠すならおれの方から云って聞かせる。あの丸太を倒せと教えたのは、大工の勝次郎だろう。どうだ、まだ隠すか」
 如何にいたずらでも強情でも、ことし十六の小僧は半七の敵ではなかった。一々図星をさされて、利助はとうとう降参した。かれは半七の問いに落ちて、このあいだ仕事場で材木を倒したのは、自分の仕業に相違ないと白状した。それを頼んだのは確かに大工の勝次郎で、かれから百文の銭《ぜに》をもらって、そっとかの材木を倒したのであると云った。しかし勝次郎は身銭《みぜに》を切って、なぜそんな悪い知恵を授けたのか、それは利助も知らないらしかった。かれは生来のいたずらから、面白半分の人騒がせになんの考えもなく引き受けて、小さい身体を材木のかげに潜ませ、不意にその一本を倒しかけたに過ぎないのであった。
 その白状を残らず聞いた上で、半七は利助を番頭のところへ連れて行った。そうして、あらためてこの小僧を番屋へ呼び出すまでは、決して表へ出してはならないと堅く戒めて帰った。

     五

 半七は山卯の材木店を出て、ふたたび柳原の通りへ引っ返してくると、あとから子分の善八が追って来た
「親分。山卯の店へたずねて行ったら、親分はたった今帰ったというので、すぐに追っかけて来ました。番頭の話では、利助という小僧がなにか眼をつけられたそうですね」
「むむ、まあ、大抵は見当がついたようだ」と、半七は笑った。「ところで、木挽《こびき》の方はどうした」
「銀蔵の奴は駄目でした。別に手がかりになりそうなこともありませんよ」
 善八は自分が調べて来ただけのことを話した。それは幸次郎の報告と大差ないもので、かれ自身も失望している通り、別に新らしい手がかりになりそうな材料を含んでいなかった。
「まあ、銀蔵も喜平も別に係り合いはなさそうだ。それより大工の勝次郎という若い野郎を引き挙げてくれ。こいつは石町の油屋に仕事に行っているそうだから」
「ようがす。すぐに番屋へ引っ張って来ますかえ」
「むむ。おれは先に行って待っている」と、半七は云った。「相手は若けえ奴だ。おまけに大工だというから、なにか切れ物でも持っているかも知れねえ。気をつけて行け」
 善八にわかれて、半七はすぐに町内の自身番へ行こうとしたが、かれが日本橋の石町へ行って本人を引っぱって来るまでには、まだ相当の間《ひま》がかかるだろうと思ったので、更に向きをかえて髪結床へはいると、ちょうど客がなくて、甚五郎は表をながめながら長い煙管で煙草をのんでいた。
「やあ、親分。先ほどは……」と、かれは起って挨拶した。「きたないところですが、まあお掛けなさい」
 自分の店へ髪を結いに来たのでないことは甚五郎も初めから承知しているので、かれは粉炭《こなずみ》を火鉢にすくい込んで、半七の前に押し出しながら話しかけた。
「親分も清水山の一件をお調べになるんですかえ」
「世間がそうぞうしいので、まんざら打っちゃっても置かれねえ」と、半七も煙草入れを出しながら云った。
「実はさっきお話をしませんでしたが、池崎の屋敷の中間のほかに、こんなことがありましたよ。これはわたしだけが知っていることなんですがね。なんでも八月の中頃からでしょうか、変な男がときどき髪を束《たば》ねに来るんです。ひとりで来る時もあり、二人づれで来る時もありましたが、まあ大抵はひとりで来ました。年頃は三十五六でしょうか、色の黒い、骨太の、なんだか眼付きのよくない男で、めったに口をきいたこともなく、いつも黙って頭をいじらせて、黙って銭をおいて行くんです」
「それがどう変なのだ」
「どうということもありませんが……。わたしも客商売で、毎日いろいろの人に逢っていますが、どうもその男の様子がなんだか変でしたよ」
「その男は今でも来るかえ」と、半七は煙草を吸いながらしずかにきいた。
「いや、それがまたおかしいんです。九月のなかば過ぎ、山卯の若い衆が清水山へ見とどけに出かけてから二、三日あとのことでした。その男がいつもの通りふらり[#「ふらり」に傍点]とはいって来て、わたしに髭を当らせていると、そこへまたほかの客がはいって来て、山卯の若い衆の噂をはじめると、その男は黙って聞いていたが、やがてにやり[#「にやり」に傍点]と忌《いや》な笑い顔をして、半分はひとり言のように、そんな詰まらないことをするものじゃあない。しまいには身を損《そこ》ねるようなことが出来《しゅったい》する……と。わたしはそれに相槌を打って、まったくそうですねと云いましたが、その男はなんにも返事をしませんでした。そうして、それっきり来なくなってしまったんです」
「それっきり来ねえか」
「それっきり一度も顔をみせません。ねえ。親分。なんだか変じゃありませんか。そいつは今も云う通り、色の黒い、骨太の、頑丈な奴でしたよ」
 喜平と銀蔵をなぐり倒した大きい手の持ち主はかの男ではないかと、甚五郎は疑っているらしかった。半七もそう思った。
「そいつは二人連れで来たこともあるんだね」
「ありますよ」と、甚五郎はうなずいた。「もう一人の男は少し若い三十二三ぐらいの、これはずっと小作りの男でした」
「商売の見当はつかないかね」
「さあ」と、甚五郎は首をかしげた。「どうも江戸じゃありませんね。まあ近在のお百姓でしょうかね」
「いや、ありがとう。いいことを教えてくれた。うまく行けば一杯買うぜ」
「どうも恐れ入りました。こんな話が何かのお役に立てば結構です」
 半七はここの店を出て、山卯の町内の自身番へ行ってみると、善八はまだ来ていなかった。定番《じょうばん》を相手に、囲炉裏《いろり》のそばでしばらく話していると、やがて善八は大工の勝次郎をつれて来た。勝次郎はまだ二十一か二で、色の青白い痩形の男で、見たところ、小機転の利いているらしい江戸っ子肌の職人ではあるが、度胸のすわった悪党でもないらしいことは、半七は多年の経験ですぐ察しられた。
「おい、御苦労」と、半七は勝次郎に声をかけた。「よくすぐに来てくれたな」
「親分さんの御用だということですから」と、勝次郎はおとなしく答えた。
 よく見ると、かれの顔はどことなく窶《やつ》れて、眼のうちも陰っていた。
「そこで早速だが、お前は柳原の清水山へ何しに行くんだ」
「いいえ、行ったことはございません。山卯の喜平どんに誘われましたが、どうも気が進まないのでことわりました」
「気が進まないなら、なぜ初めに自分の方から行こうと云い出したんだ。いやなものなら黙っていたらよさそうなもんだ。一旦行こうとしながら、中途で寝返りを打つばかりか、山卯の小僧に百の銭をくれて、仕事場の丸太をなぜ倒さした。そのわけが訊《き》きてえ。正直に云ってくれ」
「へえ」
 それに対して何か云い訳をかんがえているらしい勝次郎の頭の上へ、半七はつづけて浴びせかけた。
「一体おめえは妙な知りびとを持っているな。あの三十五六の色の黒い、骨太の男はなんだ」
 勝次郎は黙ってうつむいていた。
「それから三十二三の小作りの男……あんな奴らとなぜ附き合っているんだ」
 勝次郎は真っ蒼になってふるえ出した。
「もう何事もお上《かみ》の耳にはいっているんだ。じたばた[#「じたばた」に傍点]するな、往生ぎわの悪い野郎だ」
 半七に睨まれて、若い大工は骨をぬかれたようにへたばってしまった。
「さあ、なんとか返事をしろ。黙っているなら、おれの方からもっと云って聞かしてやろうか。だが、おれに口をきかせれば利かせるほど、貴様の罪が重くなるのだから、その積りでいろ。それともここらで素直に云うか」
 再び睨みつけられて、勝次郎はあわてて叫んだ。
「親分、堪忍してください。申し上げます、申し上げます」
 半七は善八に云いつけて、茶碗に水を入れて来て勝次郎の前に置かせた。
「さあ、水をやる。一杯のんで、気をおちつけて、はっきりと申し立てろ」
「ありがとうございます」と、勝次郎はふるえながらその水をひと口飲んだ。そうして、板の間に手をついた。
「こうなれば何もかも有体《ありてい》に申し上げますが、わたくしは決して悪事を働いた覚えはございません」
「うそをつけ」と、半七はまた睨んだ。「どうも強情な奴だな。じゃあ、おれの方からよく云って聞かせる。貴様が初手《しょて》から清水山へ行く料簡もなし、またなんにもうしろ暗いことがねえなら、初めから黙っている筈だ。脛《すね》に疵《きず》もつ奴の癖で、自分の方からわざと清水山へ行こうなぞと云い出したものの、もともとほんとうに行く気はねえんだから、喜平たちをおどかすために、小僧に頼んで丸太を倒させた。それでも喜平が強情に行くと云うので、今度は長屋に急病人が出来たなどといい加減な嘘をついて逃げてしまった……。やい、勝次郎。まだおれにしゃべらせるのか。世話を焼かせるにも程があるぞ」
「恐れ入りました」と、勝次郎は声をふるわせた。「親分のおっしゃることは一々図星でございます[#「ございます」は底本では「ごさいます」]。しかし親分、わたくしは清水山の一件に係り合いがあるには相違ありませんが、決して悪いことをした覚えはないのでございます。まあ、お聞きください。ことしの七月の末でございました。日が暮れてもなかなか残暑が強いので、涼みながら鼻唄で柳原の堤下を通りました。もうかれこれ五ツ半(午後九時)頃でしたろう。ふいと見ると、うす暗いなかに白地の浴衣を着ているらしい女がぼんやりと突っ立っているんです。しけ[#「しけ」に傍点]を食った夜鷹だろうと思って、からかい半分にそばへ寄って、何か冗談を云いかけると、その女はいき
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