は高輪の弥平という岡っ引の子分で、江戸から出役《しゅつやく》の与力に付いて、去年から横浜に来ているのであった。江戸にいるときに半七の世話になったこともあるので、かれは今夜久しぶりで出逢った親分と子分を、疎略には扱わなかった。近所の料理屋へ案内して、三五郎はなつかしそうに話し出した。
「どうも皆さんに御無沙汰をして相済みません。ところで、おまえさん達は唯の御見物ですかえ。それとも何かの御用ですかえ」
「まあ、御用半分、遊び半分よ」と、半七は何げなく云った。「なにしろ、ここもむやみに開けてくるらしいね。江戸より面白いことがあるだろう」
「まったく急に開けて来たのと万国の人間があつまって来るのとで、随分いろいろの変った話がありますよ」
 この間もロシアの水兵が二人づれで、神奈川の近在へ散歩に出て、ある百姓家で葱《ねぎ》を見つけて十本ほど買うことになったが、買い手も売り手も詞《ことば》が通じないので、手真似で対談をはじめた。売り手の方では相手が異人であるから、思うさま高く売ってやれという腹で、指を一本出してみせた。それは一分というのであった。それに対して買い手は一両の金を出した。指一本一両と思ったのである。売り手もさすがにびっくりして、それでは違うと首をふってみせると、買い手の方ではまだ不承知だと思ったらしい。その一両をなげ出して、十本の葱を引っかかえて逃げ出した。売り手はいよいよおどろいて、違う違うと叫びながら追ってゆくと、近所の者がそれを聞きつけて駈けあつまって来たので、買い手はいよいよ狼狽して、一生懸命に逃げ出した。水兵のひとりは浅い溝川《どぶかわ》へ滑り落ちて、泥だらけになって這いまわって逃げた。葱十本を一両に売って、しかも買い手が命からがら逃げてゆくなどということは、ここらでも前代未聞の椿事《ちんじ》と噂された。
 こんな話をそれからそれへと聴かされて、半七も松吉もこみ上げて来る笑いを止めることが出来なかった。話す人も聴く人もしきりに笑いながら猪口《ちょこ》の遣り取りをしていると、三五郎はやがて少しまじめになって云い出した。
「だが、そんなおかしい話ばかりでなく、いろいろのうるさいこともありますよ。なにしろ異人ばかりでなく、日本でも諸国からいろいろの人間が寄りあつまって来ていますからね。どうも人気《じんき》が殺伐で、喧嘩をする奴がある、悪いことをする奴がある。それにね」と、かれは更に顔をしかめた。「例の浪士という奴が異人を狙ってはいり込んでくる。尤も神奈川の関門《かんもん》で大抵くいとめている筈なんですが、どこをどうくぐるのか、やっぱり時々にまぐれ込んでくる。ほん者ばかりでなく偽者もまじってくる。こいつらが一番厄介物ですよ。このあいだ中も攘夷の軍用金を出せなんて云って、押借りしてあるく奴がありましてね」
「そいつらはどうした。みんな引き挙げたか」と、半七は訊《き》いた。
「それがいけねえ」と、三五郎は頭《かぶり》をふった。「みんな同じ奴らしいんですがね」
 かれの話によると、横浜でも去年の暮ごろから軍用金押借りの一と組が横行する。勿論、それがほん者か偽者かよくわからないが、いつでも二人づれで異人の生首《なまくび》を抱えてくる。それを形代《かたしろ》に軍用金を貸せと嚇して、小さい家では三十両か五十両、大きい家では百両二百両を巻き上げて行く。被害者のうちには後の祟りを恐れてそれを秘密にしている者もあるので、委《くわ》しいことは知れないが、少なくも十五六軒はその災難に逢っているらしい。こんな奴らはこの上になにを仕出来《しでか》すか知れないというので、戸部の奉行所でも厳重に探索をはじめた。三五郎も一生懸命に駈けまわっているが、どうしても彼等の足跡を見つけ出すことが出来ない。それにはどうも弱っていると彼も溜息まじりで云った。
 半七と松吉は顔を見あわせた。
「それで、おめえはその生首というのをどう思う。そこらの異人で、そんなに首を取られた奴があるのか」と、半七は又|訊《き》いた。
「あればすぐに知れる筈ですが……」
「それじゃあ近い頃に病気で死んだ者があるか」
「それも無いそうです」と、三五郎は首をかしげていた。「それだからどうも判らねえ。わたしの鑑定じゃあ、きっとどこかの墓場あらしをして、日本の死人の首をなんとか巧くこしらえて来るんだろうと思うんですよ。嚇かされる方はふるえ上がっているから、それが異人か日本人か、碌な首実験が出来るもんですか。ねえ、そうじゃありませんか」
 かれも半七の最初の鑑定とおなじ見込みを付けているのであった。しかし今の半七はそれに耳を貸すことは出来なかった。おなじ墓場あらしでも、或いは異国人の死に首を掘り出してくるのではないかという疑いはあったが、近ごろ病死した者がないとすれば、その疑いもすぐに煙りのように消
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