であるが、何をいうにも子供が多いのに、又その世話をする女や子供が大勢詰めかけているので、ここは二階以上の混雑で殆ど足の踏み場もないくらいであった。そこへ衣裳や鬘《かつら》や小道具のたぐいを持ち込んで来るので、それを踏む、つまずく。泣く者がある。そのなかを駈け廻っていろいろの世話を焼く師匠は、気の毒なくらいに忙がしかった。午過ぎには師匠の声はもう嗄《か》れてしまった。
 俄か天気の三月末の暖気は急にのぼって、若い踊り子たちの顔を美しく塗った白粉は、滲み出る汗のしずくで斑《まだ》らになった。その後見《こうけん》を勤める師匠の額にも玉の汗がころげていた。その混雑のうちに番数もだんだん進んで、夕の七ツ時(午後四時)を少し過ぎた頃に常磐津の「靭猿《うつぼざる》」の幕が明くことになった。踊り子はむろん猿曳と女大名と奴《やっこ》と猿との四人である。内弟子のおこよ[#「こよ」に傍点]と手伝いに来た女師匠とが手分けをして、早くから四人の顔を拵《こしら》えてやった。衣裳も着せてしまった。もう鬘さえかぶればよいということにして置いて、二人はほっ[#「ほっ」に傍点]と息をつく間もなく、いよいよこの幕が明くこと
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