まえに置かれた。今日《こんにち》ではめったに見られないが、その頃には子供が夏場の玩具として、水鉄砲や水出しが最も喜ばれたものであった。水出しは煙管《きせる》の羅宇《らお》のような竹を管《くだ》として、それを屈折させるために、二箇所又は三箇所に四角の木を取り付けてある。そうして一方の端を手桶とか手水鉢《ちょうずばち》とかいうものに※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] し込んで置くと、水は管を伝って一方の末端から噴き出すのである。しかしただ噴き出すのでは面白くないので、そこには陶器《せと》の蛙が取り付けてあって、その蛙の口から水を噴くようになっている。巧みに出来ているのは、蛙の口から可なりに高く噴きあげるので、子供たちはみな喜んでこの水出しをもてあそんだのである。その水出しが奉行所の白洲《しらす》へ持ち出されて厳重な吟味の種になろうとは何人《なんぴと》も思い設けぬことであった。
紙屑屋の夫婦は先ずその水出しの出所を糺《ただ》された。その玩具はどこで買ったかという訊問に対して、亭主の五兵衛は恐る恐る申し立てた。
「実はこの水出しは買いましたのではございま
前へ
次へ
全25ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング