人を轢《ひ》いたり、塀を突き破ったりした。今かんがえると少しおかしいようであるが、その頃の東京市中では自転車を甚だ危険なものと認めないわけには行かなかった。わたしも口をあわせて、下手なサイクリストを罵倒すると、老人はやがて又云い出した。
「それでも大人《おとな》ならば、こっちの不注意ということもありますが、まったく子供は可哀そうですよ」
「子供は勿論ですが、大人だって困りますよ。こっちが避《よ》ければ、その避ける方へ向うが廻って来るんですもの。下手な奴に逢っちゃあ敵《かな》いませんよ」
「災難はいくら避けても追っかけて来るんでしょうね」と、老人は嘆息するように云った。
「自転車が怖いの何のと云ったところで、一番怖いのはやっぱり人間です。いくら自転車を取締っても、それで災難が根絶やしになるというわけに行きますまいよ。昔は自転車なんてものはありませんでしたけれど、それでも飛んでもない災難に逢った子供が幾らもありましたからね」
 これが口切りで、老人は語り出した。
「今の方は御存知ありますまいが、外神田に田原屋という貸席がありました。やはり今日《こんにち》の貸席とおなじように、そこでいろいろ
前へ 次へ
全25ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング