んね。わたしは何だか悪いことをしたような心持がして、気が咎めてならないんですよ」
 紙屑屋の女房はしきりに自分の不注意を悔んでいるらしかった。不運な母と子の死体はあくる日の夕方、品川の或る寺へ送られて無事に葬式《とむらい》をすませた。由五郎は自棄《やけ》酒を飲んでその後は仕事にも出なかった。

「この話がふとわたくしの耳にはいったもんですからね。いわゆる地獄耳で聞き逃がすわけには行きません」と、半七老人は云った。「その大工の子供や、紙屑屋の子供が、はやり病いで死んだのならば仕方がありません。門並《かどなみ》に葬礼が出ても不思議がないんですが、そこに少し気になることがあったもんですから、八丁堀の旦那方に申し上げて、手をつけてみることになりました」
「じゃあ、二人の子供はやっぱり何かの災難だったんですね」と、わたしは訊《き》いた。
「そうですよ。まったく可哀そうなことでした」

 それから四、五日の後に、由五郎は勿論、紙屑屋の亭主五兵衛とその女房お作とが家主附き添いで、月番の南町奉行所へ呼び出された。死んだ由松が紙屑屋の女房から貰って来たという玩具《おもちゃ》の水出しが、証拠品として彼等のまえに置かれた。今日《こんにち》ではめったに見られないが、その頃には子供が夏場の玩具として、水鉄砲や水出しが最も喜ばれたものであった。水出しは煙管《きせる》の羅宇《らお》のような竹を管《くだ》として、それを屈折させるために、二箇所又は三箇所に四角の木を取り付けてある。そうして一方の端を手桶とか手水鉢《ちょうずばち》とかいうものに※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] し込んで置くと、水は管を伝って一方の末端から噴き出すのである。しかしただ噴き出すのでは面白くないので、そこには陶器《せと》の蛙が取り付けてあって、その蛙の口から水を噴くようになっている。巧みに出来ているのは、蛙の口から可なりに高く噴きあげるので、子供たちはみな喜んでこの水出しをもてあそんだのである。その水出しが奉行所の白洲《しらす》へ持ち出されて厳重な吟味の種になろうとは何人《なんぴと》も思い設けぬことであった。
 紙屑屋の夫婦は先ずその水出しの出所を糺《ただ》された。その玩具はどこで買ったかという訊問に対して、亭主の五兵衛は恐る恐る申し立てた。
「実はこの水出しは買いましたのではございま
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