のが、まず正当の判断であるらしく思われた。しかし死人の手にはいずれも刃物らしい物を掴んでいなかった。それかと思うようなものも其の場には落ちていなかった。それが疑いの種となって、二人はやはり他人に殺害されたのであろうという説がおこった。喧嘩の相討ちならば仔細はないが、ほかに下手人があるとすれば、人間ふたりを殺したという重罪人の詮議は厳重でなければならない。半七はすぐにその探索にかかった。
その晩、料理屋の門口《かどぐち》へ来て、紋作はいるかと訊《き》いた男が先ず第一の嫌疑者であったが、頬かむりをしていたので人相も年頃もわからない。すぐに出て行ってしまったので、夜目では風俗も判らない。殆どなんの手がかりも無いので、さすがの半七も眼のつけどころに困った。しかし冠蔵はもう三十に近い男で、家には女房もある、子供もある。紋作は若い独身者《ひとりもの》で、のんきに飛びあるいている。芸人ふたりが殺されたといえば、その原因はおそらく色恋であろう。どの道、これは年のわかい独身者の紋作の方から調べ出すのが近道であるらしく思われたので、半七はその明くる日の午過ぎに先ず紋作の家をたずねた。
小間物屋の二階には紋七を始めとして一座のものが五、六人あつまっていた。紋作と冠蔵との葬式が一度に落ち合うので、こっちの葬式を先ずあしたの朝にして、更に冠蔵の葬式をその日の夕方に出すとのことであった。
ほかにも近所の人たちが四、五人来ていた。娘のお浜は眼を泣き腫《は》らしながら茶や菓子の世話などをしていた。半七はお浜を二階から呼びおろして小声で訊《き》いた。
「おい。あの二階の隅のほうに坐っている薄あばたの兎欠脣《みつくち》の男は衣裳屋の職人だろう。名はなんとかいったね」
「定さん、定吉というんです」と、お浜は答えた。
紋作と定吉とが楽屋で喧嘩したことを知っている半七は、また訊いた。
「あの定という奴は、年甲斐もなしにお前になにか戯《から》かったことでもありゃあしねえか」
蒼ざめた顔を少し紅くしてお浜はだまっていた。
「え、そうだろう。おまえに小遣いでもくれたことがあるだろう」
「ええ。白粉でも買えと云って、一朱くれたことが二度あります」
「紋作のところへ女でもたずねて来るようなことはねえか」
男はいろいろの人が来るので、一々かぞえ尽くされないが、女でここの家へたずねて来たものは一人もないとお浜は云った。
それでも半七に釣り出されて、かれは根岸の叔母さんのことを話した。紋作は自分の叔母だと云っているが、それがどうも胡乱《うろん》である。そこからも時々に男の使がくると、お浜は妬《ねた》ましそうに話した。
「よし。あの定という野郎をここへ呼んでくれ」
お浜に呼ばれて降りて来た兎欠脣の定吉は、すぐに近所の自身番へ連れてゆかれた。半七は頭ごなしに叱り付けた。
「馬鹿野郎。いい年をしやあがって何だ。孫のような小阿魔《こあま》に眼じりを下げて、あげくの果てに飛んでもねえ刃物三昧をしやあがって……。途方もねえ色気ちげえだ。人間の胴っ腹へ庖丁を突っ込んだ以上は、鮪を料理《りょう》ったのとはちっとわけが違うぞ。さあ、恐れ入って白状しろ」
「親分。違います、違います」と、定吉はあわてて叫んだ。「憚りながらお眼違いです。わたくしが紋作を殺したなんて飛んでもねえことです」
「嘘をつけ。池の端の料理屋の門口《かどぐち》から、紋作はいるかと声をかけたのは手前だろう」
「違います、違います」と、彼はまた叫んだ。「そりゃあ私じゃあありません。十露盤《そろばん》絞りの手拭をかぶった若い野郎です」
「てめえはそれをどうして知っている」
定吉は少しゆき詰まった。かれは自分の寃罪《むじつ》を叫ぶために、飛んでもない事をうっかり口走ってしまったので、今さら後悔しても追っ付かなかった。かれは半七にその尻っぽを捉まえられて、とうとう恐れ入って白状した。
半七の想像通り、かれは自分の店へ手伝いにくるお浜のあどけない姿に眼をつけて、ときどきに小遣いなどをやって手なずけようとしていたが、お浜には紋作というものが付いているので、かれは兎欠脣の男などに眼もくれなかった。定吉はそれを忌々《いまいま》しく思っているうちに、その日は楽屋で紋作と衝突した。ふだんから彼に対する憎悪《にくしみ》が一度に発して、定吉はまさかに彼を殺すほどの料簡もなかったが、せめてその顔に疵でも付けてやろうと思って、料理屋の門口《かどぐち》に忍んで、その帰るのを待っていると、十露盤絞りの手拭をかぶった若い男がおなじくその門口にうろうろしていた。こっちでじろじろ視れば、向うでもじろじろ視る。なんだか工合《ぐあい》が悪いので、定吉は一旦そこを立ち去って、山下の屋台店で燗酒《かんざけ》をのんで、いい加減の刻限を見はからって又引っ返してくると、たった今そこで人殺しがあったという騒ぎであった。脛《すね》に疵もつ彼はなんだか急に怖くなって、とんだ連坐《まきぞえ》を食ってはならないと怱々《そうそう》に逃げて帰った。
「親分。まったくその通りで、嘘も詐《いつわ》りもございません。お察しください」
かれの白状は嘘でもないらしかった。
「十露盤絞りをかぶっていたのは若い野郎だな。どんな装《なり》をしていた」
「双子《ふたこ》の半纏を着ていました」
唯それだけのことでは、怪しい男の身もとを探り出すのはむずかしかった。双子の半纏をきて十露盤しぼりの手拭をかぶった男は、そのころ江戸じゅうに眼につく程にたくさんあった。半七はいろいろに定吉を詮議したが、どうしてもその以上の特徴を発見することは出来なかった。
工夫《くふう》に詰まって、半七は更に紋七をよび出して調べた。紋作には叔母があるかと訊《き》くと、紋七は有ると答えた。ほかの者には隠していたが、兄弟子の自分には曾《かつ》て話したことがある。それは紋作が末の叔母で、十六の年から或る旗本の大家《たいけ》へ妾奉公に上がっていたが、今から七年ほど前にその主人が死んだので、根岸の下《しも》屋敷の方へ隠居することになった。本来ならば主人の死去と同時に永《なが》の暇《いとま》ともなるべき筈であるが、かれの腹から跡取りの若殿を生んでいるので、妾とはいえ当主の生母である以上、屋敷の方でも、かれを疎略に扱うことは出来なかった。かれは下屋敷に移されて何不足なく暮らしていた。
物堅い武家に多年奉公していた叔母は、自分の甥に芸人のあることを秘《かく》していた。ことに自分の生みの子が当主となったので、猶更それを世間に知られることを憚《はばか》って、表向きは音信不通にすごしていたが、さすがは叔母甥の人情で、時々にそっと紋作をよび寄せて、幾らかの小遣いなどを恵んでくれた。紋作もいい叔母をもったのを喜んで、ときどきには自分の方からも押し付けの無心に行った。しかし叔母から堅く口止めをされているので、かれは叔母の身分も居どころも決して人には洩らさなかった。
これで紋作と叔母との関係はわかったが、その下屋敷は根岸の方角とばかりで、屋敷の名は紋七も知らないと云った。その上には詮議のしようもないので、半七はひと先ず紋七を帰してやった。定吉も叱られただけで、主人の家へ帰された。
紋作の葬式は、あくる朝の五ツ半(午前九時)に小間物屋の店を出た。ともかくも芸人であるだけに、相当の会葬者がその時刻の前から店先へあつまっていると、大きい霰《あられ》がその頭の上にはらはらと降った。半七も子分の庄太を連れて、その群れにまじっていた。
「ごめんなさい」
霰のなかをくぐって一人の若い男が急いで来た。かれはお浜の母を呼び出して何かささやくと、お直は更に紋七を呼んで来た。男はやはり小声で紋七と何か応対して、袱紗《ふくさ》につつんだ目録《もくろく》包みらしいものを渡すと、紋七はしきりに辞儀をして、かれを奥へ連れて行った。
「親分」
袂をひかれて半七はふり返ると、兎欠脣《みつくち》の定吉がうしろに立っていた。
「今来た男、あれがどうも十露盤絞りらしゅうござんすよ。顔にどこか見覚えがあります」
「そうか」
半七はすぐに紋七をよび出して訊くと、いま来た男はかの根岸の叔母の使で、紋作の香奠《こうでん》として金五両をとどけて来たのだと云った。紋七が彼に逢うのはきょうが初めてであるが、これまでにも叔母の使で時々にここへ来たことがあるらしいとの事であった。
「あの男も見送りに行くのかえ」
「いや、ここで御焼香だけして帰ると云うていました」
云ううちにかの男は出て来た。彼はあたりの人に気を置くようにきょろきょろと見廻しながら、紋七やお浜親子に挨拶して怱々《そうそう》に出て行った。半七はすぐに子分を呼んだ。
「やい、庄太。あの男のあとをつけろ」
葬式の出る頃に霰はやんだ。紋作の寺は小梅の奥で、半七も会葬者と一緒にそこまで送ってゆくと、寺の門内には笠を深くした一人の若い侍が忍びやかにたたずんでいて、この葬列の到着するのを待ち受けているらしかった。
四
紋作の初七日の逮夜《たいや》が来た。今夜は小間物屋の二階で型ばかりの法事を営むことになって、兄弟子の紋七は昼間からその世話焼きに来ていた。涙のまだ乾かないお浜は、母と共に襷《たすき》がけで働いていると、その店さきへ半七がぶらりと来た。
「おれは御法事に呼ばれて来たわけじゃあねえが、これはまあ御仏前に供えてくれ」と、かれは菓子の折を出した。「そこで、今夜は紋七も来るんだろうね」
「はい。もうさっきから来ています」と、お浜は云った。
「そりゃあ都合がいい」
案内されて二階へあがると、小さい机の上には位牌が飾られて、線香のうすい煙りのなかに燈明の灯がまたたきもせずに小さくともっていた。紋七は数珠《じゅず》を手にかけて其の前に坐っていたが、半七を見てすぐに立って来た。
「親分さん。この間はいろいろお世話になりました。今夜は仏の逮夜でござりますに因って、まあ型ばかりの仏事を営んでやろうかと存じて居ります」
「後々のことまでよく気をつけてやりなさる。御奇特《ごきどく》のことだ、仏もさぞ喜んでいるだろう。さて其の仏のまえでお前さんに少し話したいことがある。ここの娘もつながる縁らしいから、おふくろと一緒にここへ呼んでもいいかね」
「はい。どうぞ」
お直とお浜とは襷をはずして二階へあがって来た。半七は三人を自分のまえに列べてしずかに云い出した。
「もう済んでしまったことで、今更どうにもしようがねえようなもんだが、紋作がどうして死んだか、冠蔵が誰に殺されたか、その仔細がわからねえじゃあ、おめえ達もいつまでも心持がよくあるめえと思う。そこできょうはそれを話しに来たんだから、そのつもりで聴いてくれ。ねえ、紋七さん。あの紋作は誰が殺したと思いなさる」
「そりゃあ判りまへん、ちっとも知りまへん」
「おれも最初は見当が付かなかったが、この頃になってようよう判った。紋作は誰に殺されたのでもねえ。自分で死んだのだ」
「まあ」と、お浜とお直は顔を見あわせた。紋七も呆気《あっけ》にとられたように眼をみはった。
「しかし冠蔵を殺して、自分も死んだのだ」と、半七は説明した。「誰のかんがえも同じことで、仲の悪い紋作と冠蔵とが喧嘩の果てにあんなことになったんだろうとは推量したが、二人ともに刃物を持っていねえ。そこらにも刃物は落ちていねえ。そこで他人に疑いがかかって、おれも最初は衣裳屋の定吉に眼をつけたが、その見当は狂ってしまった。その晩、料理屋の門口《かどぐち》から紋作を訊《き》いた男、それが怪しいと思ったが、これもやっぱり外《はず》れてしまった。しかし手がかりはそれから付いた。その男は植木屋で、紋作の叔母さんの下屋敷へ親の代から出入りをしている。その因縁で、叔母さんから頼まれて時々紋作のところへ使に来ていたんだ。あの晩も叔母さんの使で、年の暮の小づかいを幾らかここへ届けに来ると、紋作は稽古に行った留守だという。その足で楽屋をたずねて行くと、紋作はここにももういないで、三人づれで池の端の料理屋へ行ったらしいという。それからまた引っ返して
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