かい、冠蔵はかたきの赤堀水右衛門を使っていた。
その初日の夜である。芝居の閉《は》ねたのはもう九ツ(夜の十二時)をすぎた頃で、一座のものは楽屋に枕をならべて寝た。田舎の小屋の楽屋ではあるが、座頭《ざがしら》格の役者を入れる四畳半の部屋があって、仲のいい紋作と冠蔵とはその部屋を占領して一つ蚊帳《かや》のなかに眠った。疲れ切っている二人は木枕に頭を乗せるとすぐに高いびきで寝付いてしまったが、およそ一※[#「日+向」、第3水準1−85−25]《いっとき》も経つかと思うころに紋作はふと眼をさました。建て付けの悪い肱掛《ひじか》け窓の戸を洩れて、冷たい夜風が枕もとの破れた行燈《あんどう》の灯をちろちろと揺らめかせている。信州の秋は早いので、壁にはこおろぎの声が切れぎれにきこえる。紋作は云いしれない旅のあわれを誘い出されて、遠い江戸のことなどを懐かしく思い出した。自分たちを置き去りにして土地の廓《くるわ》へ浮かれ込んだ一座の或る者を羨ましくも思った。
木枕に押しつけていた耳が痛むので、かれは頭をあげて匍匐《はらば》いながら、枕もとの煙草入れを引きよせて先ず一服すおうとするときに、部屋の外の廊下
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