した。しかも紋作が水右衛門を打ったのは事実で、人形の額にたしかな証拠が残っていた。
冠蔵はそれを自分に対する紋作の嫉妬であると解釈した。初日以来、自分の人形の評判がよい。まるで生きているように働くと観客がみな褒めそやしている。紋作はそれを妬《ねた》んで、夜なかにそっと自分の人形を傷つけて、それを誤魔化すために途方もない怪談を作り出したに相違ないと認めた。しかし此れも取り留めた証拠はないので、彼もその場は胸をさすって人々の仲裁にまかせた。なにぶんにも旅先のことで直ぐに付けかえる首がないので、冠蔵は額のゆがんだ水右衛門の人形を今夜も舞台へ持ち出すよりほかなかった。うす暗い蝋燭の火で観客はそれを覚《さと》ったかどうだか知らないが、向う疵を負った人形を使っているということは何分にも気が咎めて、冠蔵はどうも気乗りがしなかった。それでも金谷宿佗住居の段に進んで来ると、云いしれない敵愾心《てきがいしん》が胸いっぱいに漲《みなぎ》って来て、かれの眼には残忍の殺気を帯びた。
赤堀水右衛門は石井兵助をあざむいて、だまし討ちにするのである。冠蔵はその仇になりすましてしまって、出来るかぎり憎々しく、出来る限り残酷に、相手の兵助をなぶり殺しにしてやろうと思って、その人形を手いっぱいに働かせた。相手の気込みがいつもと違っているのは、紋作の方にも悟られた。もともと旅興行で、さのみ熱心に勤めている筈でない冠蔵の人形が、今夜はたましいが籠ったように生きて働いている。しかもその人形を使っている冠蔵の眼には殺気を帯びている。紋作はなんだか油断が出来なくなって、自分の人形をなぶり殺しにしようと立ちむかって来る敵に対して、十分の身がまえをしなければならなくなった。人形と人形との刀は折れそうに激しく打ち合った。人形つかいの額には汗がにじみ出した。二人の眼はおのずと血走って来た。それに釣り込まれて、床《ゆか》の太夫も今夜は一生懸命に語った。観客は呼吸《いき》をのんで、その勝負の成り行きをうかがっていた。
いかにあせっても狂っても、当然の約束として、石井兵助は、敵に斬り伏せられなければならなかった。水右衛門の方には助太刀の敵役《かたきやく》があらわれて来た。これらの人形も三方から兵助を取り囲んで斬り込んでくるので、それを使っている紋作は自分が敵に囲まれているように焦躁《いらだ》ってきた。神経の興奮している彼
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