ない。どんな重い仕置《しおき》をうけるかも知れないと恐れられて、彼はその場からすぐに逐電《ちくてん》してしまった。なまじい土地の狭い田舎などに身を隠しては却って人の目につく虞《おそ》れがあるのと、もう一つにはふだんから江戸へ出て見たいという望みがあったのとで、かれは大胆に江戸へむかって逃げて来た。諸国の人間のあつまる江戸に隠れていた方が、却って詮議が緩《ゆる》かろうとも考えたのであった。しかし彼は路銀の用意もなかったので、殆ど乞食同様のありさまで、どうやらこうやら江戸まで辿りついた。江戸には別に知己《しるべ》もないので、かれはやはり乞食のようになって江戸じゅうをうろついていた。
 しかし彼はすぐにその乞食の境界から救われるようになった。江戸に入り込んでから三日目の朝に、かれは測《はか》らずも加賀屋の嫁と女中に出逢ったのである。評判の八幡祭りを見物したいのと、その祭礼で何かの貰いがあるかも知れないと思ったのとで、かれは朝から深川の町々をさまよっていると、混雑の中でお元とお鉄の姿を見つけたので、彼はよろこんで声をかけた。それが隣り村の、しかも取り上げ婆さんの伜であることを知った時に、ふたり
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