後のことはあらためて説明するまでもあるまい。安吉はさらにお元から百両の金をゆすり取って、一度手籠めにしたお鉄を無理に連れ出して、どこへか立退《たちの》こうと企てたが、それが最後の破滅を早める動機となって、かれはお鉄の刃物におびやかされ、更に半七に追いつめられた。丙午《ひのえうま》の問題だけならともかくも、彼にはそれよりも重大な松茸の問題があるので、一生懸命に逃げまわった末に、とうとう不忍の池の底へ自分の命を投げ込んでしまったのであった。
 ここまで話して来た時には、お鉄の涙ももう乾いていた。かれが更に半七を屹《きっ》と見あげたひとみには一種の強い決心が閃《ひら》めいていた。
「そういう訳でございますから、たとい相手に傷は付けませんでも、御法通りにお仕置を願います。唯わたくしの一生のお願いは、若いおかみさんの事でございます。どうでわたくしは、あんな奴に滅茶滅茶にされた身体でございますから、どうなってもかまいませんけれど、丙午のことが世間に知れまして、もしも御離縁にでもなりますようですと、おかみさんもきっと生きてはおいでになるまいと存じますから」
「よし、判った」と、半七は大きくうなずいた。「おまえの料簡はよく判っている。おれが受け合った。決しておめえの主人に迷惑はかけねえから、安心しているがいいぜ」
「ありがとうございます」と、お鉄はまた泣き出した。
 お鉄の忠義に免じて、半七は加賀屋に関する事件をいっさい発表しなかった。お鉄には勿論なんの咎めもなかった。安吉の死は単に松茸の問題だけで解決してしまった。お鉄は二十一の年まで加賀屋に奉公して、若夫婦のあいだに男の児が出来たのを見とどけて、近所の酒屋の嫁に貰われた。その媒妁人《なこうど》はかの三浦老人夫婦であった。
 その嫁入りのときに加賀屋でも相当の支度をしてくれたが、お元の里方からはお鉄の附金《つけがね》として二百両の金を送って来た。半七のところへも百両とどけて来た。



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
入力:網迫
校正:ごまごま
2000年12月21日公開
2004年3月1日修正
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