《しでか》すかも知れないので、其蝶もその処置に困ってしまったのです。そのうちにお葉の熱度はだんだん高くなって、使に出た途中、まわり途をして其蝶の家へ押しかけて行くというようになったので、偏人もいよいよ困り果てたのです。なにしろ、こういう女を師匠の家に置くのはよろしくない、ゆくゆくどんなことを惹き起すかも知れないから、何とかして放逐させてしまいたいと思ったが、師匠にむかってどうも明らさまにも云い出しにくいので、その後は句の添削《てんさく》をたのみに行くたびに、二、三句のうちにきっと一句ずつは落葉とか紅葉とかいう題で、おち葉を掃き出してしまえとか、紅葉を切って捨てろとかいうような句を入れて行ったそうです。お葉という女の名から思いついた謎で、なるほど風流人らしい知恵でした。いつもいつも同じような句を作っているので、宗匠も少し変に思っていると、一番最後に持って来たのが、『落葉して月の光のまさりけり』とかいうのだそうです。落葉は例のお葉で、月は其月の一字をよみ込んだものとみえます。お葉を逐《お》い出してしまえば、其月のひかりも増すという意味。それを読んで、其月宗匠も初めてさてはと覚《さと》ったのですが、それを又いつもの焼餅から妙にひがんで考えてしまったんです」
「其蝶とお葉とが訳があると思ったのですか」
「そうです、そうです。これは二人がいつの間にか出来合っていて、女が師匠の家にいては思うように媾曳《あいびき》も出来ない。さりとて、自分から暇を取っては感付かれると思って、なんとかしてこっちから暇を出させ、それから自由に楽しもうという下心《したごころ》だろうと、悪くひがんで考えてしまって、なにしろ、その方のことになると、まるで半気違いのようになる人なんですから、唯むやみに悪い方にばかり考えてしまって、例のごとくお葉をいじめ始めたんです。ことに今度は其蝶の発句《ほっく》という証拠物があるのだから堪まりません。お葉はもう我慢が出来なくなったと見えて、其蝶にあてた長い手紙をかきました。こんなに主人から無体に虐《いじ》められてはとても生きてはいられないから、いっそ主人を殺してしまって、お前さんのところへ駈け込んで行くというようなことを書いて、自分の小指を切った血を染めて、それをそっと其蝶にとどけたので、受け取った方ではおどろきましたが、まさか本気でそんなこともしまい、嚇しに書いてよこし
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