るかも知れない。そうして、二人の秘密が発覚したあかつきには、その取り持ちをした自分も当然その係り合いを逃がれることは出来ない。双方の親たちからやかましい掛け合いをうけた上に、二軒の得意場をうしなうのは知れている。しかも彼女が現在住んでいる池の端の裏屋は甲州屋の家作《かさく》であるから、ここもおそらく追い立てられるであろう。そればかりでなく、そんな噂が世間にひろまれば、自分の信用はひどく傷つけられて、更に幾軒の得意場を失うかも知れない。あるいは此の土地で稼業が出来ないようになるかも知れない。それからそれへと考えてゆくと、お豊はなかなか落ち着いていられなくなった。
なにしろ往来ではどうにもならないというので、彼女はともかくもお力とお直を自分のうちへ連れて行って、二人の娘の持っている清書草紙を下の壁にかけて置いて二階へ通した。お豊は更にお紋と藤太郎をよんで来て、なんとか善後策を講ずるつもりで、すぐ甲州屋へ行ってみると、息子はあいにく留守であった。倉田屋の店には娘がいたので、お豊はそっと呼び出してささやくと、お紋もおどろいて一緒に出て来た。
女髪結の家の二階で、お紋は自分の妹とお直に逢った。かれはお直の不注意を激しく責め立てた。それが雷師匠に輪をかけたかとも思われるほど凄まじい権幕《けんまく》であるので、お豊は又びっくりした。しかしそれにはわけのある事で、お紋がこの頃すこしく取りのぼせているらしいことをお豊も内々知らないではなかった。若い同士の秘密を知らない甲州屋では、今度ある媒妁口《なこうどぐち》に乗せられて、倉田屋の話は忘れたように、よそから藤太郎の嫁をもらうことになった。気の弱い息子は正面からそれに反対する勇気もなくて、ただ内々で苦しんでいるうちに、その縁談はすべるように進行し、近々|結納《ゆいのう》を取りかわすまでに運ばれて来たので、それを知ったお紋は決して承知しなかった。かれは男の不実をはげしく責めて、一体わたしというものをどうしてくれるのだとせまったが、男の挨拶がとかくに煮え切らないので、お紋は焦《じ》れて怨んで、この頃ではなんだか半病人のようになっていた。
倉田屋の親たちも無論に怒っていた。しかし自分の娘と藤太郎との関係がそんな峠まで登りつめているとはさすがに気がつかないで、いたずらに蔭口《かげぐち》を云うくらいですごしていたが、若い娘の胸の火はこの頃の暑さ以上に燃えて熱して、かれの魂は憤怒《ふんぬ》に焼けただれていた。かれは毎日のように長い手紙をかいて、それを妹に持たせてやって、男の妹の手から憎い男に突き付けさせていた。それほどに彼女の恨みの籠った手紙を、お直が不用意に取り落したと聞いて、お紋はむやみに怒った。一種の鬼女になっているような彼女は、噛みつくようにお直に食ってかかって、こんなことでは今までの手紙もたしかに兄さんにとどけてくれたかどうだか判らないなどと云った。それでもお豊の仲裁で、その方は先ずどうにか納まったが、一方の藤太郎が出て来ないのと、一方のお紋は半気違いのようになっているのとで、お豊が心配している肝腎の善後策は一向に要領を得なかった。彼女もこれには当惑して、お紋をなだめて待たせて置いて、再び藤太郎を呼び出しにゆくと、彼はまだ戻らないとのことであった。或いは隠れているのではないかとも疑ったが、しいて詮議もならないので其の儘むなしく帰ってくると、留守のあいだに大|椿事《ちんじ》が出来《しゅったい》していた。
二階にはお紋の姉妹《きょうだい》とお豊の母とが黙って坐っていた。どの人の顔も真っ蒼になっていた。お豊は又おどろいて仔細をきくと、かれが出て行ったあとで、執念ぶかいお紋はお直にむかって、その兄に対する恨みを又さんざんに列《なら》べ立てた。それがだんだんに募って来て、わたしがこうして兄さんに捨てられたのも、おまえが蔭へまわって何か讒訴をしているからに相違ないと云い出した。それにはお直も黙っていなかった。彼女は持ち前の強情から飽くまでもそれを否認して、たがいに云い争っているうちに、お紋はいよいよ逆上して、いきなりにお直の胸倉を引っ掴んで小突きまわすと、どうしたはずみか彼女の喉を強く絞めて、十三の小娘はもろくも息が絶えてしまったのである。お豊もそれを聞いて呆気《あっけ》に取られた。よく見ると、まったく嘘ではない。お直は冷たい死骸となってそこに横たわっているので、お豊はあわてて出来るだけの介抱をした。水をのませても、水天宮様の御符《ごふ》を飲ませても、擦《さす》っても揺《ゆす》ぶっても、お直はもう正体がないので、彼女も途方にくれてしまった。
こうなっては、とても自分ひとりの知恵や分別にはあたわないので、お豊は汗を流しながら再び倉田屋へかけ付けた。かれはお紋の母を呼び出して、そっとこの始末を訴えると、母
前へ
次へ
全10ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング