。こうして一家の人々から款待《かんたい》されて、澹山の方でもひどく喜んで、自分の居間として貸して貰った離れ座敷を画室として、ここでゆっくりと絵絹や画仙紙をひろげることになると、伝兵衛も自分の家の屏風や掛物は勿論、心安い人々をそれからそれへと紹介して、澹山のために毎日の仕事をあたえてくれた。それらの仕事に忙がしく追われながら、六七八の三月《みつき》はいつか過ぎて、ここらでは雪が降るという九月の中頃になった。
 この三月のあいだには別に記《しる》すべき事もなかった。ただ彼《か》の澹山が諸方から少なからず画料を貰って、その胴巻がよほど膨《ふく》れて来たのと、娘のおげんと特に親しみを増したのと、この二ヵ条のほかには何事もなかった。しかし、娘の問題は若い旅絵師に取ってすこぶる迷惑の筋であるらしかった。娘は自分の恩人という以上に澹山を鄭重《ていちょう》に取り扱った。かれが朝夕の世話は奉公人どもの手を借らずに、娘が何もかも引き受けていた。その親切があまりに度を過ぎるのを澹山は内心あやぶみ恐れていながらも、むやみにここを立退《たちの》くことの出来ない事情もあるらしく、迷惑を忍んで千倉屋の奥にうずくまっていた。
「先生。お寂しゅうござりましょう」
 柴栗の焼いたのを盆に盛って、おげんは行燈《あんどう》の前にその白い顔を見せた。奥州の夜寒に※[#「虫+車」、第3水準1−91−55]《こおろぎ》もこの頃は鳴き絶えて、庭の銀杏《いちょう》の葉が闇のなかにさらさらと散る音がときどきに時雨《しぐれ》かとも疑われた。娘は棚から茶道具をとりおろして来て、すぐに茶をいれる支度にかかった。
「いや、もう毎晩のこと、決してお構いくださるな」と、澹山は書きかけていた日記の筆を措《お》いて見かえった。「お父さんはどうなさった。きょうは一日お目にかからなかったが……」
「父は午《ひる》から出ましてまだ戻りません。今夜は遅くなるでございましょう」
 伝兵衛は囲碁が道楽で、ときどき夜ふかしをして帰ることは澹山も知っているので、別にそれを不思議とも思わなかった。
「兄さんは……」
「兄も父と一緒に出ました」
 おげんは茶をすすめて、更に柴栗を剥《む》いてくれた。その白い指先をながめながら澹山はしずかに訊《き》いた。
「御用人の御子息はその後御催促には見えませんか」
「はい」
「どうも思うように出来ないので甚だ延引、なんとも申し訳がありません」と、澹山は小鬢《こびん》をかいた。「頼まれたお方が余人でないので、せいぜい腕を揮《ふる》おうと思っているのですが、それがため却って筆先が固くなった気味で、まことにどうも困っています。千之丞殿も定めて御立腹、ひいては御推挙くだすったお父さんにも御迷惑がかかろうと心配していますが……」
「なんの、そんなことはございません」と、おげんは相手の顔を見つめながら云った。「あんな人の頼んだ絵など、いっそいつまでも出来ない方がようござります」
 この藩の用人荒木|頼母《たのも》の伜千之丞は、伝兵衛の推挙で先ごろ千倉屋へたずねて来て、澹山に西王母《せいおうぼ》の大幅を頼んで行った。その揮毫《きごう》がなかなかはかどらないので、五、六日前にも千之丞はその催促に来た。しかしその催促以外に、なにかの意味でおげんが千之丞を嫌っていることを、澹山もうすうす覚《さと》っていた。
「くどくも云う通り、頼まれたお方が余人でないので、わたくしも等閑《なおざり》には存じません」と、澹山は飽くまでもまじめに云い出した。「しかし、どうも出来ないものは仕方がないので、まあ、まあ、幾たびでも描き直して、これなればと自分でも得心《とくしん》のまいるまで根《こん》よくやってみるよりほかはありません。お前様からもよくお父さんに取りなして置いてください。頼みます」
 おげんは微笑《ほほえ》みながらうなずいた。片明かりの行燈は男と女の影を障子に映して、枕の草子の作者でなくても、憎きものに数えたいような影法師が黒くゆらいでいた。庭で銀杏《いちょう》の散るおとが又きこえた。
「千之丞殿の伯父御は先殿《せんとの》様の追腹《おいばら》を切られたとかいいますが、それはほんとうのことですか」と、澹山は思い出したように訊いた。
「確かなことは存じませんが、それは嘘だとか聞きました」と、おげんは躊躇《ちゅうちょ》せずに答えた。「先殿様の御葬式《おとむらい》がすむと間もなく、源太夫様もつづいてお亡《な》くなりなすったので、世間では追腹などと申しますが、ほんとうは千之丞様の親御《おやご》たちが寄りあつまって詰腹《つめばら》を切らせたのだとかいうことでござります」
「ほう。詰腹……」と、澹山は顔をしかめた。「武家では折りおりそんな噂を聞きますが、無得心のものを大勢がとりこめて切腹させる。考えてもおそろしい。しかし、源太夫殿とても御用人格の立派な御身分であるから、いわれ無しに詰腹など切らされる筈もあるまい。何かそこには深い仔細があることと思われるが……」
「大方そうでござりましょう」
「若殿の忠作様も実は御病死でない。それにも何か仔細があるように云う者もありますが、それも嘘ですか」と、澹山はまた訊いた。
「それもよくは存じません」
 彼女もまんざら愚鈍でないので、いかに打ち解けた男のまえでも、領主の家の噂を軽々しく口外することはさすがに慎しんでいるらしく見えたので、澹山も根問《ねど》いしないでその儘に口を噤《つぐ》んだ。用人の死、若殿の死、この二つの問題はそれぎりで消えてしまって、話はやがて来る冬の噂、それもおげんの重い口から途切れ途切れに語られるだけで、あんまり澹山の興味を惹かないばかりか、今夜も五ツ(午後八時)を過ぎたのに、おげんはただ黙って坐り込んだままで容易に動きそうにも見えないので、澹山は例の迷惑を感じて来た。
「おげんさん。もう五ツ半頃でしょう。そろそろおやすみになったらどうです」
「はい」と、云ったばかりで、おげんはやはり素直に起ち上がりそうもなかった。
「早く行ってお寝《やす》みなさい」と、澹山は優しい声ながらも少し改まって云った。
「はい」
 彼女はやはり強情に坐り込んでいた。そうして、重い口をいよいよ渋らせながら云い出した。
「あの、わたくしのような不器用なものにも絵が習えましょうか」
「誰でも習えないということはありません」と、澹山は、ほほえみながら答えた。
「では、これからあなたの弟子にして、教えていただくことは出来ますまいか」
 澹山は返事に少し躊躇した。もとより良家の娘が道楽半分に習うというのであるから、その器用不器用などは大した問題でもなかったが、澹山の別に恐れるところは、彼女が絵筆の稽古をかこつけに、今後はいっそう親しく接近して来ることであった。しかし今の場合、それをことわるに適当の口実をも見いだし得ないので、結局それを承知すると、おげんは初めて座をたった。
「では、きっとお弟子にしていただきます」
 そこらの茶道具を片付けて、かれは自分で澹山の寝床をのべて、丁寧に挨拶して出て行った。そのうしろ姿を見送って澹山は深い溜息をついた。
 旅絵師山崎澹山の正体が吹上御庭番の間宮鉄次郎であることは云うまでもあるまい。この土地の領主は三年あまりの長煩《ながわずら》いで去年の秋に世を去った。その臨終のふた月ほど前に、嫡子《ちゃくし》の忠作が急病で死んで、次男の忠之助を世嗣ぎに直したいということを幕府に届けて出た。嫡子が死んで、次男がその跡に直るのは別にめずらしいことでもない。むしろそれは正当の順序であるので、幕府でも無論それを聞き届けたが、それから間もなく当主が死んだ。その葬式が済むと、つづいて用人の一人貝沢源太夫が死んだ。それが禁制の殉死であるともいい、または毒害ともいい、詰腹ともいう噂があった。
 こうなると、嫡子の急病というのも一種の疑いが起らないでもない。当主の余命がもう長くないのを見込んで、何者かが嫡子を毒害などして次男を相続人に押し立てようと企てた。その反対者たる用人の一人は何かの口実のもとに押し片付けられてしまった。大名の家の代換りには、こういうたぐいのいわゆる御家騒動がたびたび繰り返されるので、幕府でも一応内偵をしなければならなかった。
 そうでなくても、大名の代換りには必ず隠密を放つのが其の時代の例であるのに、仮りにもこういう疑いが付きまとっている以上、今度の隠密は比較的重大な役目になって来た。それをうけたまわった鉄次郎は絵筆の嗜《たしな》みのあるのを幸いに、旅絵師に化けて奥州へ下ってくる途中で、偶然に房川《ぼうかわ》の渡しでおげんを救ったのが縁となって、千倉屋伝兵衛と親しくなった。しかも其の家は鉄次郎の澹山がこれから踏み込もうとする城下の町にあるというので、彼はこの上もない好都合をよろこんで、抑留《ひきと》められるままに千倉屋の客となった。そうして三月あまりを送るうちに、彼は伝兵衛の推挙で城の用人荒木頼母の伜千之丞から掛物の揮毫《きごう》を頼まれた。
 城内の者に知己を得るという事は、澹山に取っては最も望むところであったので、彼はいよいよ喜んでそれを引き受けたが、それがどうも思うように描きあがらないので、彼の心はひどく苦しめられた。あの絵師はまずいと一旦見限られてしまうと、城内の他の人々にも接近する機会を失うことになるので、彼はこの絵を腕一ぱいにかきたいと思った。もう一つには万一自分が隠密であるということが発覚した暁に、江戸の侍はこんなまずい絵を描き残したと後日《ごにち》の笑いぐさにされるのが残念である。十分に念を入れて描きたいと、あせれば躁《あせ》るほど其の筆は妙に固くなって、彼として相当の自信のあるような作物がどうしても出来あがらなかった。おれはほんとうの絵師ではない。おれは侍で、単に一時の方便のために絵を描くのであるから、所詮は素人の眼を誤魔化し得るだけに、ただ小器用に手綺麗に塗り付けて置けばよいのである。田舎侍に何がわかるものかと時々こう思い直すこともありながら、彼はやはり自分の気が済まなかった。現在の彼は江戸の侍、間宮鉄次郎の名を忘れて、山崎澹山という一個の芸術家となって苦しみ悩んでいるのであった。
 その最中に千倉屋の娘がうるさく付きまとって来て、いよいよ自分の弟子にしてくれという。それを邪慳《じゃけん》に突き放すすべもない彼は、いっそ此の家を逃げ出して、どこか静かなところに隠れて思うような絵をかいてみたいとも思ったが、その小さい目的のために他の大きい目的を犠牲にすることの出来ないのは判り切っているので、澹山はただ苦しい溜息をつくのほかはなかった。
 寺の鐘が四ツ(午後十時)を撞《つ》き出したのに気がついて、彼は寝床へ入ろうとした。用心ぶかい彼は寝る前にかならず庭先を一応見まわるのを例としているので、今夜も縁先の雨戸をそっとあけて、庭下駄を突っかけて、大きい銀杏の下に降り立つと、星の光りすらも見えない暗い夜で、早寝の町はもう寝静まっていた。広い庭を囲っている槿《むくげ》の生垣《いけがき》を越して、向うには畑を隔てた小家が二、三軒つづいている筈であるが、その灯も今夜は見えなかった。まして、その又うしろに横たわっている小高い丘や森の姿などは、すべて大きい闇の奥に埋められていた。
 落葉の音にも耳をすまして、澹山はやがて内へ引っ返そうとする時、向うの田圃路《たんぼみち》に狐火のような提灯の影が一つぼんやりと浮き出した。丘の上に祠《まつ》られてある弁天堂に夜まいりをした人であろうと思いながらも、彼はしばらく其の灯を見つめていると、灯はだんだんに近づいて生垣の外を通り過ぎた。灯に照らされた人のすがたは主人の伝兵衛と伜の伝四郎とであることを、澹山は垣根越しにはっきり認めた。
「碁を打ちに行ったのではない。親子連れで夜詣りかな」と、かれは小首をかしげた。
 座敷へ帰って、行燈《あんどう》をふき消して、澹山は自分の寝床にもぐり込むと、やがて母屋《おもや》の方からこちらへ忍んで来るような足音がきこえた。

     三

 澹山は蒲団の下に隠してある匕首《あいくち
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