》したのでござります。娘を連れて金毘羅《こんぴら》まいりと申したのも、実は四国西国の信者をたずねて、それと同じような有難い絵像をたくさん拝んで来たのでござります。こう何もかも打ち明けて申しましたら、御禁制の邪宗門を信仰する不届き者と、あなたはすぐにわたくしの腕をつかまえて、うしろへお廻しになるかも知れません。しかしわたくし一人をお仕置になされても、私には又ほかに幾人もの隠れた味方がござります。迂闊《うかつ》な事をなさると、却ってあなたのお為になりますまい。あなたの御身分もわたくしはよく存じて居ります。今日まで百日あまりのあいだに、わたくしが一度口をすべらしましたら、失礼ながらあなたのお命はどうなっているか判りません。娘の命を助けてくだされた御恩もあり、もう一つは斯《こ》ういう御無理をお願い申したさに、今日《こんにち》までわたくしは固く口をむすんで居りました。この後とても決して口外するような伝兵衛ではござりません。その代りに……と申しては、あまりに手前勝手かは存じませんが、どうぞ快く御承知くださりませ」
自分をここまで誘い出して、おそらく闇討ちにでもするのであろうと澹山は内々推量していたが、その想像はまったく裏切られて、彼は思いもよらない難題を眼のまえに投げ付けられた。彼は国法できびしく禁制されている切支丹宗門の絵像を描かなければならない羽目《はめ》に陥ったのである。隠密という大事の役目をかかえている彼は、手強くそれを刎《は》ねつけることが出来ない。相手が伝兵衛ひとりならばいっそ斬って捨てるという法もあるが、ほかにも彼と同じ信徒があって、その復讐のためにこっちの秘密を城内の者に密告されると、我が身が危《あぶ》ない。わが身のあぶないのは江戸を出るときからの覚悟ではあるが、大事の役目を果たさずには死にたくない。邪宗門ということが発覚すれば、伝兵衛も命はない。隠密ということが発覚すれば、澹山も命は無い。どっちも命がけの秘密をもっているのであるが、この場合には相手の方が強いので、澹山も行き詰まってしまった。
しかし斯《こ》う順序を立てて考えたのは、それから余ほど後のことで、その一刹那の澹山はただ何がなしに相手に威圧されてしまったという方が事実に近かった。
「これを模写してどうするんです」と、彼はわざと落ち着き払って訊いた。
「それはおたずね下さるな」と、伝兵衛はおごそかに云った。「わたくしの方に入用があればこそ、こうして折り入ってお願い申すのでござります」
自分の頼みを素直に引き受けてくれる上は、自分たちもかならずあなたの身の上を保護して、秘密の役目を首尾よく成就《じょうじゅ》させてやると、伝兵衛は彼の信仰する神のまえで固く誓った。
四
それから一と月ほどの間、澹山は病気と云って誰にも逢わなかった。夜も昼も一と足も外へ踏み出さなかった。かれは千倉屋の離れ座敷に閉じ籠って、朝から晩まで絵絹にむかって、ある物の製作に魂をうち込んでいた。そのあいだに荒木千之丞は絵の催促にたびたび来たが、伝兵衛がいつもいい加減にことわっていた。十月の末になって、ここらでは早い雪が降った。
「先生、ありがとうござりました。御恩は一生忘れません」
秘密の絵像が見事に出来あがって、澹山の手から伝兵衛に渡されたときに、彼は涙をながして澹山を伏し拝んだ。そうしてその報酬として、伝兵衛の手からもいろいろの秘密書類が澹山に渡された。この一ヵ月のあいだに伝兵衛はおなじ信徒を働かせて、また一方にはたくさんの金を使って、いろいろの方面から秘密の材料を蒐集して来たのであった。
この城内における小さいお家騒動の事情はこれでいっさい明白になった。嫡子忠作の死は毒害などではなく、まさしく庖瘡《ほうそう》であったことが確かめられた。しかし藩中に党派の軋轢《あつれき》のあったことは事実で、嫡子の死んだのを幸いに妾腹の長男を押し立てようと企てたものと、正腹の次男を据えようと主張するものと、二つの運動が秘密のあいだに行なわれたが、結局は正腹方が勝利を占めて、家老のひとりは隠居を申し付けられた。用人の一人は詰腹を切らされた。そのほかに閉門や御役御免などの処分をうけた者もあって、この内訌《ないこう》も無事に解決した。
これでもう澹山の役目は済んだものの、他人《ひと》のあつめてくれた材料ばかりを掴んで帰るのはあまりに無責任である。これだけの材料を土台として、自分が直接に調べあげて見なければ気が済まないので、澹山はここで年を越すことにした。千倉屋ではいよいよ鄭重に取り扱ってくれた。
十一月になって雪のふる日が多くつづいたので、澹山はこのあいだに彼《か》の千之丞から頼まれた掛物を仕上げてしまおうと思い立って、再び絵筆を執《と》りはじめると、不思議にその西王母の顔が、かのマリア
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