であるが、その中には燈明《とうみょう》の灯がともっていた。その灯を目あてに、伝兵衛は池のほとりまで辿って来て、そこにある捨て石に腰をおろした。澹山も切株に腰をかけた。
「御苦労でござりました。夜が更けてさぞお寒うござりましたろう」と、伝兵衛は初めて口を開いた。「そこで、早速でござりますが、わたくしが折り入って描《か》いて頂きたいのはこれでござります」
澹山をそこに待たせて置いて、伝兵衛はうす暗い堂の奥にはいって行ったが、やがて二尺ばかりの太い竹筒をうやうやしく捧げて出て来た。彼は自分の家から用意して来たらしい蝋燭に燈明の火を移して、片手にかざしながらしずかに云った。
「まずこれを御覧くださりませ」
かなりに古くなっている竹は経筒《きょうづつ》ぐらいの太さで、一方の口には唐銅《からかね》の蓋が厳重にはめ込んであった。その蓋を取り除《の》けて、筒の中にあるものを探り出すと、それは紙質も判らないような古い紙に油絵具で描かれた一種の女人像《にょにんぞう》で、異国から渡って来たものであることは誰の眼にも覚《さと》られた。伝兵衛がさしつける蝋燭の淡《あわ》い灯で、澹山はじっとこれを見つめているうちに彼の顔色は変った。
「これは何でございます」と、彼はしずかに訊《き》いた。
「弁天の御像でござります」
それは嘘であることを澹山はよく知っていた。この古びた女人像は、切支丹《きりしたん》宗徒が聖母として礼拝するマリアの像であった。四国西国ならば知らず、この奥州の果ての小さい寂しい城下町でこんなものを見いだそうとは、澹山はすこしく意外に思って、手に持っている其の油絵と伝兵衛の顔とをしばらく見くらべていると、伝兵衛の方でも彼の顔をのぞき込みながら云った。
「先生、いかがでござりましょう。それを模写《もしゃ》して頂くわけにはまいりますまいか」
澹山は黙っていた。伝兵衛もしばらく黙ってその返事を待っていた。蝋燭の灯は夜風にちらちらとゆれて、時々にうす暗くなる光りの前に、彼の顔は神々《こうごう》しく輝いているように見られた。澹山は一種の威厳にうたれて、おのずと頭が重くなるように感じた。
「大方は御不承知と察して居りました」と、伝兵衛はやがてしずかに云い出した。「それはわたくし共に取りましては、命にも換えがたい大切の絵像《えぞう》でござります。この弁天堂もわたくしの一力で建立《こんりゅう
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