、なにか食わせろと云うんだ」
「へえ、よく似ていますね」と、幸次郎は不思議そうに眼を見はった。「それからどうしましたえ」
「こっちは呆気《あっけ》にとられているから、なんでも相手の云うなり次第さ。船に持ち込んでいる酒と弁当を出してやると、息もつかずに飲んで食って、また海のなかへはいってしまったそうだ」
「まるで河童《かっぱ》か海坊主のような奴ですね。そうすると、ゆうべの奴もやっぱりそれでしょうよ」
「きっとそれだ」と、半七は云った。「いくら広い世のなかだって、そんな変な奴が幾人もいるわけのものじゃあねえ。きっとおなじ奴に相違ねえ。このあいだの潮干狩に出て来た奴もやっぱりそれだろう。だが、妙な奴だな。人間の癖に水のなかに棲んでいて、時々に陸《おか》や船にあがってくる。まったく河童の親類のような奴だ。葛西《かさい》の源兵衛堀でも探してみるかな」
「ちげえねえ」と、幸次郎も笑った。
 この頃、顔やからだを真っ黒に塗って、なまの胡瓜《きゅうり》をかじりながら、「わたしゃ葛西の源兵衛堀、かっぱの伜でござります」と、唄ってくる一種の乞食があった。したがって河童といえば生の胡瓜を食うもの、河童の棲家《すみか》といえば源兵衛堀にあるというように、一般の人から冗談半分に伝えられて、中にはほんとうにそれを信じている者もあったらしい。半七は笑いながら又|訊《き》いた。
「ゆうべの奴は匕首のようなものを出したと云ったな」
「そうです。なんでも光るものを船頭の眼のさきへ突き付けたそうですよ」
「いよいよ変な奴だな。そんな奴を打っちゃって置くと、世間の為にならねえ。しまいには何を仕出来《しでか》すか知れねえ。おれもよく考えて置こう。おめえも気をつけてくれ」
 幸次郎を帰したあとで、半七はいろいろに考えた。幸次郎の報告で、ゆうべの出来事も大抵は判っているものの、念のためにもう一度、その船頭の千八に逢ってくわしい話を聴いたらば、又なにかの手がかりを探り出すことがないとも限らない。半七は起《た》って窓をあけると、一旦晴れそうになった今朝の空もまた薄暗く陰《くも》って来た。
「しようがねえな」
 舌打ちしながら半七は神田の家を出ると、横町の角でわかい男に逢った。男は築地の山石の船頭清次であった。
「親分さん。お早うございます」
「やあ、清公。どこへ行く」
「おまえさんの家《うち》へ……。丁度いいところ
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